7/18 日比谷図書文化センターで集会
7月18日(日)、コロナ下での東京五輪(7月23日開会式)強行を控える中、東京・日比谷図書文化館コンベンションホールで、<第11回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会~コロナ下で進行する学問と教育の国家支配はゴメンダ!~> (実行委員会主催)が開かれました。
全国からZOOMでの発言者(6名+α)、ユーチューブ視聴者468名でした。
集会は10時30分に開始、岡田先生の講演、午後の地での活動報告が終わったのは16時近く。そのあと日比谷公園から東京駅そば鍛冶橋の公園までデモ。(報告は渡部)
◆岡田正則早大教授の講演
「日の丸・君が代訴訟」とこれからの日本の政治文化 ~学術会議会員任命拒否問題を含めて~
講演は極めて内容豊富で興味深くわかりやすいものでした。以下概略を紹介します。
★「世界は今グローバル化しつつあり、国家のコントロールができない状況が生まれつつある。そこから、為政者たちは<国家あってこその国民だ>ということを示そうとしている。
しかしそれは、<人を育てない、人の暮らしを守らない>という矛盾を抱えることになる。
そのためこれまで多くの裁判(社会保障・基地訴訟・戦後補償・建設アスベスト訴訟、税務訴訟、辺野古埋め立て関係訴訟など)で「鑑定意見書」を書いてきた。
「日の丸・君が代訴訟」では、2010年の「教育公務員の懲戒処分に関する裁量権の逸脱・濫用の違法性について」以来、東京と大阪の訴訟について数多く書いてきた。
その中では、「教育に職務命令を出し、教育目的ではないものをやらせようとしている」「行政裁量をコントロールするのが裁判所の責任」であることを強調した。
裁判所の判断について(再雇用訴訟)の例を挙げ、地裁・高裁では勝訴したが、最高裁では退けられた。最高裁は地裁、高裁の判決を無視し、「式典に参列する生徒への影響も否定しがたい」とか「今後も同様の非違行為に及ぶおそれがあることを否定しがたい」とし、再雇用拒否は「著しく合理性を欠くものであったということはできない」等としている。
理由も説明できず、自信のない、許されない判決である。
★日本社会の政治文化には昔から「輸入文化」の特徴がある。
そのため日本語は漢字・カタカナ・かなを混用している。明治維新以降はそれが、公共空間は(漢字・カタカナ)で建前、生活世界は(ひらがな)で本音、という風に分離した。
だから司法権は行政権に従属し、憲法を使わず、行政権をチェックしないことになった。
戦後の「日本国憲法」制定による変化は、「生活世界」のことばによる「公共空間」支配になった。しかし、公的権力・私的権力(企業など)は、「憲法=外来=建前」として否定した。対抗するには、それぞれが“自分の言葉”で話す力が試されている。
菅首相はまともな日本語も話せない。彼らは現憲法を踏みにじり、「日の丸・君が代」強制に現れているように、もう一回同じことをやろうとしている。
(その後、戦前の<滝川事件><天皇機関説事件><津田左右吉事件>等を紹介し、当時それらに十分抵抗できず、悲惨な戦争に突入したことを反省して、専門家が集団で判断し、学問の発展や社会の安定をはかる目的で学術会議は生まれたことを紹介、日本学術会議会員任命拒否問題について以下のように述べられた)
★学術会議任命拒否の当事者として
学術会議の首相による任命拒否の違憲性と違法性は、次の点にみられる。
①学術会議の独立性の侵害(「学問の自由」の破壊)
②学術会議の選考権の侵害(「任命権を根拠とする首相の権限濫用)
③手続上の違法(任命手続の基本的な前提を欠いた任命拒否)
菅首相が説明する「総合的・俯瞰的観点」「多様性の確保」「既得権の排除」はいずれも的外れ。しかも「名簿を見ていない」とも言う。
名簿を見ないでどうして拒否できるのか。狙いは、 ・「脅し」による御用機関化 ・軍事研究への協力 ・諸団体への政治介入 ・取締り。だ。
また、「軍事研究の弊害」として、排外主義と秘密主義(留学生や国際共同研究の排除、研究成果の軍事的管理など)が挙げられる。
日本の学術が低迷している原因として、目先の研究だけに目が向き、長期的視野の基礎研究ができていないことだ。
克服の道は、国策のための”選択と集中”ではなく、人類社会と将来世代のための貢献・寄与することであり、そのためにも、専門家と市民との意思疎通の回路として、審議会の委員を含めて、透明な選任の手続きが必要だ。
★この間の動向は、4月26日に、
①内閣官房と内閣府に対する法律家1162名による情報公開請求
②拒否対象者6名による自己情報開示請求
を行ったが、
①については、5月21日付けで、「不開示」とし、理由は、<開示請求に係る保有個人情報を保有していないため。(不存在)>としてきた。
②については、6月21日付けで、「存否応答拒否」とし、理由は、<開示請求のあった保有個人情報は、その存否を答えること自体が、法第14条第7号ニにより不開示とされる公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれがある情報を開示することとなるため、当該保有個人情報があるともないとも言えないが、仮にあるとしても、法第14条7号ニにより不開示情報に該当する。>としてきた。存否さえも明かさない。
(※これに対し不服審査請求をしているとのこと)
★「これからの日本社会」については、<将来世代の視点を組み込んだ民主制論>が必要で、<歴史と知性を顧みる社会、世界に開かれた社会へ>進むべきだろう。
■千葉県から車椅子で参加してくれた近さんは、集会中に考えた事として、以下のような感想を寄せてくれました。
7月18日、日比谷図書文化館で開かれた「日・君」全国学習・交流集会に参加しました。先約があり、デモには参加できませんでしたが、大変有意義な学習・交流集会でした。スタッフの皆さんに感謝です。
皆さんの挨拶、講演、報告を聞きながら二つのことを考えていました。
ひとつは「3S政策」のスポーツについてです。ボクはスポーツの邪悪さは競技・試合というスタイルに起因していると思います。「すばらしいスポーツ文化」というのは「神話」だと思っています。演出された感動はプロパガンダでしかありません。ボクは競技・試合が嫌いです。それは単なるゲーム・ギャンブルだからです。なぜ。勝ち負けのないスポーツ(海水浴や散歩など)は、五輪にはないのでしょう。それは最初からスポーツを貶めて利用する魂胆があるからでしょう。
結局、五輪はスポーツエリートの祭典なのであって、勝利至上主義に支配された醜いものでしかありません。ボクのような障碍者は「無価値」と宣言されているようでやるせない世界がそこにあります。
もうひとつは、司法は政治・行政をただす諫言役だということを改めて考えさせられました。民主主義社会では市民による諫言も権力は受け入れる仕組と態度が権力になければならないはずです。
唐の李世民(リスーミン)は諫臣の魏徴(ウェイチョン)がお世辞を言うと「お前の仕事は皇帝に意見することだ」としかったといいます。朝鮮でも王を正す司諫院(サガンウォン)という制度があったといいます。
安倍・菅の側近には「甘言」役ばかりのようで、厳しい意見を言うものは排除する。日本学術会議も権力に意見をし、正す仕組みのはずと考えさせられました。