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2015年11月15日日曜日

「君が代」についての本 『共和か死か!?世界国歌の旅)』(2015年)の紹介


先日ビデオプレスの松原明さんからイギリス人のアレックス・マーシャルという人が書いた『Republic or Death!: Travels in Search of National Anthems(共和か死か!?世界国歌の旅)』(2015年)という本を紹介してもらいました。………渡部さんのコメントです。

■本について
その本には、<フランス><ネパール><アメリカ><日本><カザフスタン><リヒテンシュタイン><ボスニア・ヘルツェゴビナ><イスラム国><エジプト><南アフリカ><パラグアイ>の11カ国の「国歌」にまつわるう話が出ています。

■日本についての記述
全部で346ページの本ですが、その中の96~125ページに日本のことが載っています。
その内容を少し長くなりますが紹介したいと思います。

★まず最初に出てくるのが、広島の世羅高校で校長が自殺した事件です。
ここでは石川校長が、広島県教委による「君が代」強制によって自殺に追い詰められていった状況が述べられています。

★次に「君が代」の意味や、靖国神社でのインタビューなどが紹介されています。

それから
・根津公子さんの幼少時代の「君が代」に関する認識状況(問題意識を持っていなかった)、
・「君が代」が明治時代に作られ日本はその後英米に並ぶ大国になり、どこでも(植民地になった朝鮮などで  も)「君が代」が歌われるようになったこと、
・とりわけ学校で教員が生徒に
 「天皇のために死ぬことが最も名誉なことである」と教えたこと、
・第二次大戦では、そのため200万人以上もの犠牲が出たこと、
・戦後多くの教員たちはそのことを悔い、組合を結成し
 「教え子を再び戦場に送るな!」というスローガンを掲げたこと。そのために「君が代」に反対したこと、
・しかし根津さんは田舎の学校だったので組合が組織できなかったのではなどということが述べられています。

★次に
・そうした反対があったにも関わらず、日本政府は国歌を変えようとは考えなかった。しかし、ドイツやイタリア  では変えた。
・占領軍アメリカは天皇を支配に利用しようとしたため許した。
・しかし、根津公子の考えは大学に入って変わった。彼女は大学で戦争中に日本が中国や
  朝鮮でどのようなことをしたかを知ったから。彼女は戦時中の歴史の本を読むようになった。
・彼女は父親を、中国戦線でひどいことをしたんだろうと糾弾した。
・それ以来「国歌」や「国旗」を尊敬することはできなくなった。

★次に根津さんが先生になってからのことが述べてあります。
・昭和天皇が死んだ1989年文部省は「日の丸・君が代」を義務付けた。
・さまざまな抵抗運動が起きた。
・根津さんの学校でも5年後国旗を揚げることが問題になった。
・彼女は生徒たちの反対の声に答えて、「日の丸」を降ろした。
・しかし、それ以来卒・入学式は変わってしまった。

★次に、埼玉県の所沢高校のことが述べてあります。
・この学校のスローガンは「自由、自主、自律」だった。
・1997年県教委は新しい校長を任命し「国歌」斉唱を導入した。
・生徒・教職員・保護者の抵抗行動が行われた。
・翌年3月の卒業式ではたった18人の生徒が出席する卒業式で校長は「君が代」を歌った。
・今では所沢高校の生徒たちは「君が代」を歌う。
・この出来事の翌年世羅高校の石川校長が自殺した。
・それで、日本政府は「日の丸・君が代」を1999年法制化した。

★その後、次のような記述が続きます。
・この法律により学校は「日の丸・君が代」を実施するようになった。
・しかし、根津さんは不起立していた。そして2003年石原都知事が不起立教員は罰されるだろうと言うまでは、誰も何も言わなかった。
・石原は「南京大虐殺」はなかったと言い、尖閣諸島を購入しようとした。
・2004年には根津さんを含む300人以上が懲罰された。
・多くの教員はその後不起立を続けることができなくなったが、根津さんは「不起立」を続けた。
・彼女への処分は減給から停職、しかもい1ヶ月から3ヶ月、
  さらに2007年までには6ヶ月へと加重されていった。
・彼女は一瞬立とうと思ったこともあったが、耐え切れず座った。
・「思想の自由」反するとして多くの教員による裁判となり、東京高裁は彼女に同意した。最高裁は「間接的な制約」とは認めるが「ルールはルール」だとしている。
・こうした中園遊会で、都教委の米長教育委員が天皇に「自分の仕事は全ての学校に君が代を歌わせることだ」と誇らしく述べたことに対し、天皇が「強制はよくない」と述べた。

また、根津さんがいろいろな嫌がらせをうけたことも紹介しています。
さらに、彼女が退職後も「不起立」を続けている教員がいること、
大阪でも「不起立」で闘っている教員がいることも紹介しています。

★大阪については
・中原教育長や橋下市長の「日の丸・君が代」強制のとんでもない遣り方、
・教員ユニオンの組合員へのインタビューが紹介され、「自分は話を聞いているうち、この教員たちが不起立をしているのは正しいと確信するようになった」と述べています。
また、橋下市長の見解なども紹介しています。

★また、筆者は右翼団体の木村三浩氏にも会って話を聞いています。

★さらに「国家君が代発祥之地」の碑がある横浜の妙香寺を訪ねています。
そこでは明治の初め、イギリス陸軍軍楽隊長フェントンが「君が代」の作曲をし、薩摩藩士30名は吹奏楽の伝習を受け演奏したそうです。

★そうして、筆者は最後のところで、石原慎太郎が「僕、国歌歌わないもん」と言ったことも紹介しています。
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10月12日、「河原井さん根津さんらの『君が代』解雇をさせない会の<都庁ビラまき>、<都教委の再質問書提出>、<都教委定例会傍聴>がありました。その際、根津さんたちにこの本を紹介すると、「よく書けているんじゃない。要約して紹介したら。」と言われましたので、紹介した次第です。

また接触した何人かの都教委の職員たちにもこの本のことを紹介すると、興味を示した職員もいました。

なお、この本に興味を持たれた方は以下のところで購入できます。
値段は3,206円(税込)です。まだ翻訳はされていないようです。
↓アマゾン
http://www.amazon.co.jp/Republic-Death-Travels-National-Anthems/dp/1847947417

2015年11月14日土曜日

11/7 業式等のビラまき交流会を開催

11月7日(土)、「11・7卒業式等のビラまき交流会」(主催:11・7卒業式等のビラまき交流会・実行委員会 呼びかけ:都教委包囲首都圏ネットワーク「ひのきみ全国ネット」・首都圏)が開かれました。
 交流会には、都内でビラまきをやっている以下のような団体の23名があつまりました。
 <学校と地域を結ぶ板橋の会> <練馬教育問題交流会> <「日の丸・君が代」強制に反対する大田・市民の会> <教育を考える多摩西部市民の会> <国立、子どもが主体になる学校行事を求める会> <東京都地域連合労働組合> <東京・山谷日雇い労働組合> <予防訴訟をひきつぐ会> <河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会> <都教委包囲首都圏ネットワーク>

◆報告について
「自己紹介と経験報告」では、この間のビラまきの状況が紹介されました。
その中で特徴的だったことをいくつか紹介します。

★一つ目は、学校によりビラまきに対する対応がかなりまちまちになってきたということです。多くの学校では以前より対応が緩やかになってきました。
○これについて、練馬の参加者は報告の中で次のように述べていました。
「ビラまきをはじめると、必ず、校長もしくは副校長もしくは主幹とおぼしき教員が「やめるように」言ってくる。「子どもたちにまくな」と言う場合もあり、理由は「交通の邪魔だ」とか「生徒が動揺する」とか、あるいは理由もなく「配らないでください、配らないでください」と言い続けるとか千差万別。ただし、問い詰めると黙ってしまい、「通告しましたよ」と言い残して去っていくパターンが多い。 

○しかし、ビラを生徒に読まれては困るという姿勢が最近次のような形で現れるようになっているようです。
 ここ2、3年は回収箱を準備して、生徒に入れさせている。回収箱については抗議するとともに、最後には回収箱に入れられたビラを、私たちが回収するようにしている(もったいないから)。

★二つ目は、最近の傾向として、いわゆる「進学校」の生徒たちのビラの受け取りが悪くなったということです。多くは、かつて生徒会やPTAも「日の丸・君が代」強制反対で
立ち上がった学校です。これらの学校ではその後教員も生徒も受験第一の体制になっているのではないか、ということでした。
それに比較し、いわゆる「底辺校」の生徒のビラの受け取りがよいということでした。
(ちなみに、千葉などでは生徒会が活発だった学校から人事で組合員を追い出し、受験指導に力を入れた結果、生徒会活動も不活発になりました。)

また、生徒の中にはビラまきに対して好意的に捉え、ビラをもって記念写真を撮ったりする生徒がいる一方、ビラまきに抗議してくる生徒もいるということでした。

★三つ目は、教職員のビラの受け取りが非常に悪くなったということでした。
ある現場教員はその理由について、「職場では組合活動がやりにくくなり、業績評価などで目をつけられ、競争させられ、バラバラになり、教員間の信頼関係も揺らいでいるから」
と述べていました。
教員に対する「政治的中立性」(という名の「政権批判禁止」)が出てくればさらにこの傾向は強まると思われます。ビラを読むことさえ監視される学校になりつつあります。

★四つ目は、保護者のビラの受け取りは概して良いが、中には毒づいてくる保護者もいるということでした。

★五つ目は、警察の対応です。全体としては以前に比べ緩やかになってきたのですが、中には管理職が警察を呼び執拗に妨害してくる学校もありました。
ビラまき参加者がある学校で聞いたところ、「都教委にそうしろと言われたから連絡した」ということです。都教委がそのような指導をしていることは明らかです。ビラまきという当然の市民の権利を、彼らは警察権力により弾圧しようとしているのです。
ただ、こうしたことに対し、
大田区では東京南部法律事務所の弁護士たち(この春は6人)が毎年ボランティアで監視活動を続けてくれているとのことでした。

★ところで、今年度は「戦争法」が強行採決され、まさに、「日の丸・君が代」が戦争に直結する時代になってきました。
また来年の参院選からは18歳になった高校生たちにも選挙権が与えられます。
交流会ではこのことも話合われ、ビラまきは、「卒・入学式の時だけではなく、恒常的に追求していく必要がある」ことが確認されました。
これについては、多摩西部地区などではすでにこの秋の高校の文化祭でビラをまいた、ということが紹介されました。

★なお、交流会では何種類かのビラが紹介されました。
そして、対象と内容を吟味し、「いかに取りやすくわかりやすいビラを作るかが大事だ」
ということが話されました。

今回、初めてこのような交流会を持ちましたが、意義のある交流会だったと思います。

なお、この取組中に、<10・23通達の撤回を求め、教育の反動化に反対する元教育庁職員の会>(現在でも都庁でビラまきを続けておられ、今年は、「『日の丸・君が代』の強制 マスコミへの言論弾圧 どちらも戦争への道」、というビラを都庁前でまかれています)
とも連絡がとれ、今後連帯していけると思っています。