関東障解委はJPIに申し入れをした
8月23日、関東障害者解放委員会となんぶユニオン、大行進北部などの連名でパラリンピック中止の申し入れを蛎殻町の日本パラリンピック委員会(JPC)に対して9人で行いました。
JPC側は戦々恐々で、予定時間前になったらビル前に出していた「パラまであと1日」の看板を引っ込め、女性の事務員が「受け取るだけです」と応対。途中から別の職員も介入してきましたが、やりきりました。その上で、ビル前でパラ反対アピールの小集会も行いました。
主な主張
★IPCのパーソンズ会長は「消費者がスポーツイベントに対し迫力のあるスポーツ以上のものを求める時代がやってくる」と言う。それって障害者スポーツを健常者のIPC会長らが儲けの食い物にするってことだよね? 障害者の日常生活や差別・分断との苦労などまったく想定されてない。
★「共生社会の実現」掲げるパラリンピックにはマスコミも肯定的報道が多い。その中で「できる障害者」と「そうでない障害者」を分断し利用するパラはいらないと障害者と労組が一緒に声をあげたことは大きな意味がある。パラの源流は戦傷者復員事業であり戦争政策そのもの。戦争と差別絶対反対!
★JPCへのパラリンピック中止申し入れのあと、障害者当事者の男性は訴えた。
「学校連携観戦? 人の命をなんだと思っているのか!」「一部のエリートの障害者を持ち上げ、それ以外の多数の障害者を切り捨てる。多くの障害者がやめてほしいと思ってる>
8月23日夜、報告のツイートを出しましたが、思った以上の反応です。
400以上のリツイート、500以上の「いいね」。今も伸び続けています。今日が開会式だというタイミングもあったでしょう。
重要なのは、22人がコメント付きリツイートしてくれていて、その内容です。障害者当事者の方もいます。
コメントを下に並べました。
●障害者の中でも選りすぐりのエリートのお遊戯会でしかない。何かしらある正解を示すと他人と自分を良し悪しだけで比べてしまう。分断を助長することだけはやめてくれ。
俺達は何も出来なくて当たり前なんだ。周りに無理に希望を与える必要もない。謙遜して感謝する必要もない。俺達は障害者だ。
●一障害者の俺もそう思う。パラアスリートって超エリート。陸上の義足なんて車が買えるほどの値段。そんなのを何本も持ってるアスリートと、保険でまかなえる義足の自己負担金をいかに工面するか悩む俺とでは雲泥の生活レベル。あの人たちは全然、“俺たち”の代表ではないんだよなぁ。
●【能力主義と共生社会実現は相容れない】
パラ競技を見て感動しつつも、どこかに違和感を覚える理由はここ
身体能力を競わせるイベントは、「身体能力に関わらず、全ての人は尊重されるべき」というメッセージと矛盾する
●ほんまこれ。恐ろしい逆教育効果だよね。例の、役立たずは死ねにも通ずるダブスタ。町内の身体障害者のおっちゃんやおばちゃんと交流せえよ、って話。超人パラ選手にしか教育効果はないのか。
●オリンピックもパラリンピックも選手が飛んだり跳ねたりするのを見せ物にしての金儲け商業イベ。本質は古代ローマで奴隷拳闘士が闘うのを貴族が高見の見物したのと同じ見せ物で、それに金儲けが乗っかったのが現代五輪。
●オリンピックもそうだがパラリンピックも主目的は政治利用。誠実で純真な選手たちを利用する悪辣な連中が許せない。スポーツの世界でも障害者の世界でも格差を作り出す。それは一般社会に格差を作り出すのと同質な力が働いているように思う。
●パラ強行は、成長期の子どもたちに、忖度とか大人の都合についての『気づき』を与えるでしょうね。
●なるほど。パラアスリート=エリート。その考え方は、なかった!ここにも、分断が。
●障害の差異を細かく分けて、競争させて。差別の助長でしょう。分けてどうする❢
●「成長期の子供たちに『気づき』を与えるって、言い方悪いけどまんま「感動ポルノ」じゃね?
●感染症の時期に開催することの是非より、もっと根本的な問題ですのう。
●なるほど…こういう視点もあるんですね。