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2021年8月3日火曜日

7/29 <第五次東京「君が代」裁判、第一回口頭弁論>

 7/29 <第五次東京「君が代」裁判、第一回口頭弁論>

東京五輪を前後して、世界や日本社会の古い体質が暴露されてきた。アメリカではキャパニックが国歌斉唱時に片膝をつき(不起立)、その後「ブラックリブズマター」の運動が広がった。

IOCは五輪での人種差別に抗議する片膝をつく行為を容認した。そこでサッカーでは、女子のイギリス代表や日本代表選手らが試合前のピッチ上で、片膝つく行為を行った。

また、組織委員会会長・森氏の女性蔑視発言を始め、開会式責任者・佐々木氏の容姿蔑視発言、開会式楽曲担当・小山田氏のいじめ、開閉会式演出・小林氏のユダヤ人大量虐殺をパロディー化、などなどで、次々と暴かれ辞任や解任に追い込まれた。

コロナ禍での五輪強行中でも時代は進みつつある。

■7月29日<第五次東京「君が代」裁判、第一回口頭弁論>が開かれた。

(原告15名)東京地裁。

ここでは以下、当日意見陳述した二人の陳述要旨を一部割愛して二回にわけて紹介する。

➀川村佐和さん

 ・・私が起立できなかったのは、思想信条にかかわることについて、従わなければ処分するという強制が教育現場で行われることは絶対に許されないと思うからです。・・・・

卒業式まで、私は何度も校長室に呼ばれて、起立してほしいと校長から言われました。・・卒業式の日までずっと悩みました。けれど、卒業式で「君が代」が流れたとき、 私は立っていることができませんでした。間違っていると思って命令に従ってしまったら、

3年間生徒に伝え続けてきたこと(「間違っていると思っていることに対して間違っていると言える勇気を持つ人になってほしい」)が嘘になってしまう。生徒を裏切ることはできないと思いました

・2019年の1月25日の朝、再任用の任用が決まったということを校長から告げられたのですが、その日の午後、校長が深刻な顔をして私のそばに来て「大事な話があるから校長室に来て欲しい」というのです。

・・校長は、前日の夜10時に人事部からメールで送られたという文書をゆっくり読み上げました。

メールには「文書を該当者に渡してはいけない。校長の言葉で伝えるように。」という指示があったそうです。

「懲戒処分歴のある教員に対する事前告知」と題されたそのメールの内容は簡単に言うと、

 年金支給開始年齢に達するまでは採用するが、その後は2016年3月に処分されているため任用を更新しないし、非常勤教員にも採用しないというものです。

私は耳を疑いました。驚きのあまりただ茫然として、何も考えられなくなってしまいました。・・校長も「ひどいよ。怒っていいよ。」と憤っていました。

 戒告処分を受けて、十分不利益を被っているのに、定年後の職まで奪われてしまうことになるなんて、信じられませんでした。

1年更新の再任用・非常勤講師の採用について、3年後は採用しないと事前に通告するということも不当だと思いました。また、この「事前告知」には「再任用職員としての資質に欠けるものがある」と書かれていますが、毎日手を抜かず一生懸命働いているのに、

 国歌斉唱時に起立できなかっただけでこのように決めつけられることに、私は教員としての尊厳を深く傷つけられました。

 あれから2年、私は毎年全く同じ内容の告知を受けています。忘れるはずがないのに、繰り返し校長に伝えさせている都教委の執念深さは恐ろしいと思います。

今までの裁判では、戒告処分は最も軽い懲戒処分であるとして、取り消されませんでした。しかし、戒告処分を受けたことによって定年後の職を奪われるということは、事実上戒告処分は免職処分に等しい重い処分になっていると思います。

私はあと八ケ月しか都立高校で専任教員として働くことができません。・・退職の日が一日一日近づいていく中で、私は日々充実感とともにこの生活が奪われる寂しさを感じています。経済的な不安はもちろんですが、生き甲斐が奪われる辛さのほうが勝っているのです。

<渡部コメント>

スガ首相は、よく「民主主義と人権で共通の価値観を持つ」などと言うが、天皇主権の「君が代」を強制し、従わなければ重い処分をすることを許す日本社会のどこに、

「民主主義」や「人権」があるというのか。

川村さんの声を聞かせたい。


②田中聡史さん

(原告団で一番若いです。少し長いですが、是非お読みください)

 私は、教員という仕事を通じて、差別のない社会を作りたい、誰もが平和に生きることのできる社会を作りたい、と願ってきました。

 そのような私にとって、2003年に発出された「10・23通達」に基づく校長からの職務命令は、耐えがたいものがありました。・・

 「日の丸」や「君が代」は、かつての日本政府によるアジアに対する侵略戦争や植民地支配のシンボルです。「君が代」斉唱時に、「日の丸」に向って起立し、それらに敬意を表すという所作は、私にとっては、平和に生きる権利を否定し民族差別を肯定する行為なのです。

 そんな中で、私も原告となった「国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟」(予防訴訟:渡部注)では、2006年9月の東京地裁判決が「起立斉唱の職務命令は違憲・違法である」と判示しました。

 私はこの判決文を読み、起立斉唱の職務命令に従う必要はないのだ、と確信しました。

 それ以降も、私は、「日の丸」や「君が代」が強制される式の現場に生徒を置き去りにして自分だけが逃げてはいけない、と考え、 卒業式・入学式に参加してきましたが、私自身の歴史観と良心とに照らして、どうしても起立斉唱することはできず、結果として職務命令に違反し、繰り返し処分を受けることになりました。

 東京都教育委員会は「教師が生徒に対して起立斉唱する姿を見せること、範を示すことが大切である。」と言います。しかし、私が決して敬意を抱けないと考えている「日の丸」や「君が代」に対して、私自身が起立斉唱することで敬意を表す姿を生徒に見せることは、私の良心が痛むのです。

 私は、2014年3月に、それまで受けた戒告処分3件と減給処分2件の撤回を求めて・・第四次訴訟を提訴しました。・・その後も、2014年に2件、2015年に2件、2016年に1件の減給処分を受けました。

 (戒告3件+減給7件=10件。後に+2件の再処分が述べてある:渡部注)2012年の1月、・・最高裁判決で「減給処分は裁量権の逸脱乱用」との判決が出たにもかかわらず、東京都教育委員会は、私に対して減給処分を出し続けました。

 また、処分を受けた年度は、何度も再発防止研修を受講させられました。私が、自らの思想及び良心を守るために、やむに止まれぬ気持ちで不起立をしたことが、再発防止研修では「非違行為」と呼ばれ、繰り返し反省することを求められ、大変な苦痛を味わいました。

 さらに、処分を発令される前には、毎回、「事情聴取」を行う、として都庁に呼び出されました。この「事情聴取」は、「処分を行う前に弁明の機会を与える」との名目でしたが、毎回、私が代理人弁護士の立ち合いを求めても、東京都教育委員会はこれを認めず、

 代理人弁護士不在の「事情聴取」を強行しました。これは、1966年のILO/UNESCO「教員の地位に関する勧告」に示された「教員が弁護準備に十分な時間を与えられ、自らを弁護し、または自己の選択する代理人によって弁護を受ける権利」を侵害し、「すべての教員は、一切の懲戒手続きの各段階で公平な保護を受けなければならない。」との勧告内容を無視したものです。

 また、これらの再発防止研修や事情聴取の時には、東京都教育委員会は、現場で働く私たち教員の実情を顧みず、児童・生徒の在校中時間中に「事情聴取」に呼び出したり再発防止研修を実施したりしたので、日常の生徒指導に支障を来たしました。

 昨年、2020年12月、私は、さらに戒告処分を2件受けました。この戒告処分は2013年3月と4月の卒業式・入学式での不起立に対して出されたものです。

 2019年3月に・・第四次訴訟の最高裁検定で、それらの・・減給処分が取り消された後、1年9か月後に改めて発令された、いわゆる「再処分」です。

 この再処分の前にも、私が「事情聴取を行う際は代理人を同席させてほしい」

 と要請していたにもかかわらず、結局、東京都教育委員会は「事情聴取」すら行わず、

 再処分を発令しました。

 この戒告処分により2021年4月の定期昇給は、4号昇給されるべきところを2号昇給に減らされました。さらに、6月の勤勉手当は36%の減額とされ、およそ17万円が減額されています。減給処分と本質的な違いはありません。

 「10・23通達」に基づいた起立・斉唱の職務命令から、私自身の思想及び良心を守る為に不起立をしたことが、「非違行為」である、とされたことで、私は処分を受け、

 数々の不利益を被りました。これは、思想・信条によって差別的取り扱いがなされた、

 というこです。

 私は、教育行政が卒業式・入学式で「日の丸」や「君が代」を押し付けるべきではない、起立斉唱の職務命令に反したからといって懲戒処分をしてはいけない、と考えます。


<渡部コメント>田中聡史さんは言っています。

・「日の丸」や「君が代」は、かつての日本政府によるアジアに対する侵略戦争や植民地支配のシンボルです。

・「日の丸」や「君が代」が強制される式の現場に生徒を置き去りにして自分だけが逃げてはいけない、と考え、・・

・1966年のILO/UNESCO「教員の地位に関する勧告」・・・・・を無視したものです。

・・・起立・斉唱の職務命令から、私自身の思想及び良心を守る為に不起立をしたことが、

 「非違行為」である、とされたことで、私は処分を受け、数々の不利益を被りました。

 これは、思想・信条によって差別的取り扱いがなされた、というこです。

田中さんはあくまで、「日の丸・君が代」が持つ過去の歴史的な役割に対する自覚から、度重なる処分にも屈せず闘い抜き、今回の第五次訴訟に至りました。

前回、私は「東京五輪を前後して、世界や日本社会の古い体質が暴露されてきた。」

と書きましたが、最近、西欧帝国主義の過去の植民地支配も問題にされています。

田中さんが言うように、「日の丸・君が代」は過去の日本帝国主義の植民地支配と戦争のシンボルでした。また日本の「古い体質」のシンボルだったとも言えます。したがって、この第五次訴訟の持つ意味・役割は、こうした日本の「古い体質」を暴き、日本社会を「新しい体質」に変える基本的なテコの一つになるのではないかと思います。

次回公判は11月8日です。