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2022年5月31日火曜日

紹介  書評や演劇評 包囲ネット・事務局の渡部さんから

 紹介  書評や演劇評 包囲ネット・事務局の渡部さんから

■書評『ルポ 大阪の教育改革とは何だったのか』(永尾俊彦)=岩波ブックレット580円

この本は、大阪での橋下維新によるこれまでの新自由主義的「教育改革」に対し、ついに現場の校長の異議申し立て(久保敬校長の「提言」)が始まったことを紹介し、これまで進められてきた新自由主義的「教育改革」がいかに教育の名に値しないものであるかを、

簡潔にまとめられたものとして、大変意義のある本である。


久保校長は「提言」で、「学校は、グローバル経済を支える人材という『商品』を作り出す工場と化している」と述べている

また、大阪の元府立高校教員の井前弘幸さんは、今後さらに「GIGAスクール」構想が進めば、教育は「結局、個人の一生を政官財で管理する『人材カタログ』作り」というものになってしまうであろうと述べている。

この本では、アメリカでの新自由主義的「教育改革」とそれへの反対運動を取り上げた

『崩壊するアメリカの公教育——日本への警告』(岩波書店、2016年)も紹介されている。そして、著者・鈴木大裕さんは、久保校長の「提言」を読んだとき、「『いよいよ日本でも狼煙(のろし)があがったか』と思ったそうだ。」と述べている。

日本における新自由主義的「教育改革」の先頭を走る大阪から、それに反対する「狼煙(のろし)」があげられたことは確かだろう。

その久保元校長が、5月18日に「レイバーネットTV」に出演する。

 ●レイバーネットTV・第169号放送

<特集 : 維新の「競争教育」はアカン!大阪からのレポート>

・放送日 2022年5月18日(水)19.30一20.50(80分)

 YouTube配信サイト アーカイブ https://youtu.be/OawOYUg9ocQ 27分過ぎから教育についてが開始


■映画『教育と愛国』を観た

これは、2006年の教育基本法改悪以来、「民主主義教育」が愛国心を盛られた「国家主義教育」に改悪され、それ以来教育の国家統制がいかに強化されてきたかを告発し、日本の教育が現在どういう状況下に置かれているかを浮き彫りにするものであった。

 映画館(UPRINK吉祥寺)の小劇場はほぼ満員だった。

たしかに、現状を打破するのは困難である。しかし、この現状に心を痛め、何とか打開しようと、現在多くの人々が闘い、狼煙(のろし)をあげていることも確かである。

■演劇評 青年劇場の『真理の勇気~戸坂潤と唯物論研究会』

青年劇場の演劇を観た。その<ごあいさつ>の中には次のようなことが述べてあった。

★ロシアがそうであるように侵略戦争に歩み出した国は、内政で翼賛体制を強め、報道管制を敷き、反対勢力への弾圧を行います。1930年代の日本はまさにその状況の中にありました。

唯物論研究会が、岡邦雄、三枝博人、戸坂潤を中心に結成されたのは、満州事変の直後、1932年10月23日のこと。小林多喜二が築地署で殺されたのが翌年2月。そこから唯研が解散する1938年までの間に、中国での戦線を拡大しながら、近衛内閣の発足等で翼賛体制と強めていき、1940年の政党解散、大政翼賛会の組織に至ります。

 私たちがこの時代から学ぶべきことはまだまだ汲みつくせないのではないでしょうか。そんな思いをのせての公演です。

会場には満員ではなかったが、多くの観客が集まり終演後の拍手もしばらく止まなかった。

★この劇は、岩倉博氏が書かれた『ある戦時下の抵抗』(2015年、花伝社)をもとに作られている。そして主人公は哲学者・戸坂潤(1900~1945)である。

劇の中で、戸坂は繰り返し「科学的精神」、「唯物論」の重要性を述べる。彼は、『日本イデオロギー論』(1935年)(岩波文庫にある)の中で、当時の「日本主義」を批判し、次のようなことを述べている。

……「日本主義的イデオロギー程、範疇論的に云って薄弱な観念体系はない…薄弱な点の第一は、日本主義が好んで用いる諸範疇(日本・国民・民族精神・農業・<神ながら>の道・<神>・<天皇>・その他都合のよい一切のものの雑然)が、一見日本大衆の日常生活に直接結び付いているように見えて、実は何等日常の実際生活と親和・類縁関係がない、ということだ。…

――日本の国粋主義イデオロギーの範疇使用法における弱点は、寧(むし)ろその古代主義(Archaismus)とでも云うべきものの内に横たわる。国粋的な体系を建設するためには、現代の国際的な(普通外来欧米思想と呼ばれる)範疇では都合が悪いのでわざわざ古代的範疇が持ち出される。国学的範疇や<絶対主義>的範疇が之(これ)である。

処(ところ)がこの古代主義は往々脱線して凡(およ)そ国粋とは関係のない遠い云わば国粋的外来思想への復帰をさえ結果する。漢学的、シナ仏教的、原始仏教ーーバラモン的、

範疇をさえかつぎ出そうとするのである。

……それは如何にももっともらしく意味ありそうなポーズを示す、ところが実はその内容に這(はい)入って見るとほとんど全くのガラクタで充ちているのである。

これらの指摘は、最近の「愛国心」や「日本人」強調の動きにも当てはまるであろう。そこには「科学的精神」は見られないのである。

★岩倉氏の本の中には、当時『日本唯物論史』(1936年)を書いた永田広志(1904~1947)の名も出てくる。彼はその書で、江戸時代以降、昭和初期までの唯物論の導入・変遷をまとめている。

江戸時代については次のような記述がある。

戦国時代以来の西洋医学の移入、次に洋学の禁止、更に徳川中期における西洋自然科学の研究の解禁、西洋医学や天文学の活発な移入、進歩は、それぞれ各時代の歴史的条件、社会的必要によって制約されたものであって、徳川時代の後期における洋学の著しい進歩の原因を、単にそれに先行せる儒学に帰すのはもちろん誤謬である。

儒教の陰陽五行説の如き自然哲学は洋学の移入の妨害物でさえあった。

だがそれにも拘わらず、儒合的理主義が、その仏教的神話に対する批判の精神が、西洋自然科学の受容を容易にした一つの条件であることは疑われない。

そして徳川時代の後半に、ヨーロッパの自然科学、なかんずく天文学がかなり深く知られてくると共に、山片蟠桃(ばんとう)の如き思想家は、地動説に基づいた自然科学的宇宙論の立場から東洋古来の神話的自然観の迷妄を暴露した。

同時に彼はその自然科学的世界観に依拠して、従来の儒者による仏教的神話観念に対する批判を無神論にまで徹底させた。

★明治以降、唯物論的思想が重要な潮流になるが、そこでは福沢諭吉、加藤弘之、中江兆民、堺利彦、幸徳秋水、山川均、三木清、河上肇らが検討され、次のように述べられている。

「現在では日本の唯物論哲学者は、デボーリ派および機械論者に対するソヴェート哲学者の論争の意義を認め、デボーリ主義的および機械論的誤謬を克服しようと努力しているとはいえ(・・・)、総じて唯物論哲学はマルクス主義的な経済的、歴史的研究から立ち遅れているのみでなく、福本イズムの流行時代と異なって著しくアカデミックとなり、又は自由主義的論壇に寄生し、「哲学者」は労働者の生活と運動から遊離している。」

そうした中で、唯物論研究会も弾圧され、解散を余儀なくされ(1938年)、科学的精神は忘れられ、日本はその後日中戦争(1937年)、太平洋戦争(1941年)へと突き進み、戦争の惨禍を起こす結果になった。

戸坂潤は、1940年に起訴され、1944年には大審院で懲役3年が確定し、終戦直前の1945年8月9日長野刑務所で獄死した。しかし彼は1942年にはすでに、「日本を敗戦の憂き目から救うためには、人民政府を即刻樹立して、今の戦争挑発者どもを強制的に職場に徴用しなければならない。そのためにも戦犯者どものリストを詳細に作っておくべきだ」と述べていた。

★ところで、唯物論研究会を立ち上げる時に三枝博音氏も大きな役割を果たした。彼は当時、江戸時代の唯物論者であった三浦梅園を研究、『三浦梅園の哲学』(1941年3月15日初版)を執筆中だった。彼は戦後も活躍し、『日本の唯物論者』(1956年)も書いている。


ところで、私ごとで恐縮であるが、私は彼らの唯物論的業績に学び、三浦梅園に関して、『敢語と梅園哲学の評価』(2014年)と『玄語』の拙い現代語訳(2021年)を出した。

「戸田玄」は私の筆名である。

現在、日本科学者会議の会員任命拒否に見られるように、日本社会は再び、政府の政策に異を唱えるような科学は排除・弾圧の対象になってきた。

しかし「科学的精神」は、人間の歴史において地下水のように尽きることなく流れており、

それをなくすことは誰にもできないのである。