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2020年11月21日土曜日

11/12  都教委定例会 根津公子の都教委傍聴記

11月12日に行われた都教委定例会を傍聴した根津さんの報告です。

いじめ・体罰の根絶は都教委が学校・教員支配をやめることから

 今日の公開議題は議案が

「第4期東京都教育委員会いじめ問題対策委員会への諮問について」

報告が

「令和元年度に発生した都内公立学校における体罰の実態把握について」

これらは大津のいじめ自殺等を受けて文科省の主導で全国の教委が2013、14年から始めたこと。

 いじめ防止については今年7月に2年間の取組の成果として「見逃しがちな軽微ないじめの積極的な認知や、学校いじめ対策委員会を核とした組織的対応等を推進することを通して、早期にいじめを解消に導いてきた」、しかし、「学校と保護者等との受け止めに乖離がないか…等の取組の改善は必要」との答申を得たという。その実績のうえに、今回は、第4期都教委いじめ問題対策委員会に対して、都内公立学校におけるいじめ防止に係る取組の推進状況の検証、評価及びいじめ防止等の対策を一層推進するための方策について諮問するとのこと。

 この提案を聴きながら頭をよぎったことは、2015年にいじめを苦に電車で自死した小山台高校の生徒Aさんと2018年に同じく自死した八王子市立中の永石陽菜さんの、それぞれの保護者に対する学校及び都教委・八王子市教委の対応の酷さだ。Aさんの件では都教委は「いじめがあったと判断することは極めて困難」と、永石さんの件では市教委は「いじめは不登校の原因」と認定する一方で「いじめがあってから自殺まで相当な期間が経過している」として直接の因果関係を認めなかったと(永石さんについては2020.8.13東京新聞)。Aさんのご遺族が開示請求し開示された文書は「のり弁」状態が多く、また、「不存在」としてきた文書が存在していたことが裁判の中で今年2月に発覚したという。教育委員は、こうした都教委や地教委の実態を見ているのだろうか。教育委員会の対応も問題とされた2人の件について、教育委員の誰一人意見を述べることなく今回の議案を承認するとは、木で鼻を括るものだ。生徒ひとりの命よりも教育委員会の権威が上、という思考がそこにはあるのではないか。

 体罰の実態報告について。各学校から上がってきた体罰について、ガイドラインに示された「体罰」「不適切な行為」「指導の範囲内」に分類して報告された。「体罰」に該当するのは「懲戒(処分を受け)…、児童・生徒の身体に肉体的苦痛を与える行為」であり、「指導の範囲内」は「やむを得ず行われた…ごく軽微な有形力の行使」だという。暴力は受けた側の感じ方で決めるべきこと、教員の「やむを得ず」を過大視することがあってはならない。

 今回の調査では「体罰」と認定された教員が19人、「不適切な行為」が201人、「指導の範囲内」が155人。過去3年間の推移はほぼ変わらない。調査を始めた2012年度と比べると、「体罰」は9分の1に減少したが、悪質・危険な行為の事案は依然としてあると。教員に対して研修を重ねるなどの取組をしてきても、根絶に至らないのはなぜか。それを論議してほしい。

 教育委員の一人は、「熱心な先生ほど体罰をしてしまい、懲戒処分にされる。胸が痛む。生徒が挑発する事案さえある。」(要旨)と発言。発言は、口では「体罰根絶」と言いながら、体罰容認の思考ではないかと私は思ったが、発言権がある教育委員からの反論はなかった。他の教育委員も同様に考えるのか。論議してほしいものだ。

 話はそれるが、この教育委員は熱心さから体罰をしてしまった教員に対して胸が痛むという。では、「君が代」不起立で処分案件とされる教員に対しては、どう思うのだろうとも思った。体罰で処分を受けた教員は、複数回体罰で処分されても、定年後の再任用への道は絶たれない。一方、私たち不起立教員は(定年退職前5年間に不起立処分を受けた場合)再任用されない。体罰根絶と言いながら、都教委は「君が代」不起立の方を問題行為と見ているということ。体罰に対しては、上記した教育委員の発言と同じく、寛容なのだ。

 いじめも体罰も同根で差別意識から。失業や低賃金で食べることさえこと欠く人々が存在し、「公助」すべき政治が「自助」を言い、また、いくつものヘイトが見える、差別・分断の日本社会。子どもたちは大人社会の差別やいじめを見ている。命・人権が大事にされる社会に向かわない限り、いじめも体罰も根絶に向かわない。学校について体験的に断言できることは、教員がもの言える職場にし、人権・平和教育を進めていくと、生徒たちもものを言っていいと理解し、自治活動のできる学校になっていく。そうなれば、生徒も教員も誰もが学校に居場所があり、いじめや体罰は起きない。その実践を保障するためには、都教委が学校・教員支配をやめること。教員に教育を任すことだ。

 都教委の事務方も教育委員も、いじめや体罰に本気で向き合っているとは、私には思えなかった。