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2022年2月12日土曜日

2.6「総決起集会」 

 ◆2.6「総決起集会」 (その四)

 梅原さんの報告

  2017年再任用拒否国賠訴訟 報告

                  元大阪府立高校教員 梅原 聡

私は2017年の定年時に再任用を申請しましたが、大阪府教委がこれを拒否したため国賠訴訟を起こし、一審の大阪地裁が私たちの主張を全面的に棄却する不当判決を出したため、控訴していました。昨年12月に大阪高裁で、勝利判決と評価できる判決がでましたので報告させていただきます。

控訴審までの経過

大阪では、知事・市長や地方議会の議員に維新の会が勢力を広げる中、2011年に、職員に「君が代」斉唱時の起立斉唱を義務付ける「国旗・国歌条例」、翌年には同一職務命令違反3回で分限免職という「職員基本条例」が制定され、「君が代」の強制が押し進められ、多くの処分者を出してきました。私の再任用拒否もその流れの中にあります。

職務命令違反で懲戒処分受けた不起立者には、処分後の研修(研修の内容は関係法規や条例の条文を読み上げるような非常に形式的なもの)の終了時に、「今後、入学式や卒業式等における国歌斉唱時の起立斉唱を含む上司の職務命令には従います。」と印刷された一片の紙片(タイトルも宛名もない)を渡され、署名捺印して提出するよう求められます。提出は任意とされ、出さない人や文言を書き換えて提出する人もあります。しかし、提出しなかったり書き換えて出したりした人が再任用を申請すると、再任用の審査の時期に校長から呼び出されて、その紙片の内容についての再度確認が行われます。これがいわゆる「意向確認です。私が再任用を拒否された理由は卒業式の不起立で二度の戒告処分を受ことに加えて、この「意向確認」に答えなかったことが決め手でした。

 裁判の主な争点は二つでした。ひとつは、裁量権の問題。再任用制度は、とくに年金と雇用の接続が求められる中で、原則として希望者全員を採用すべきもので、裁量権は制限されるという私たちの主張にし、府教委側は、再任用制度も公務員の新規任用のための選考である以上、採否について広範な裁量権を有していると反論し、2018年の東京の最高裁判決を大きな根拠に主張していました。

 もうひとつが、大阪の「君が代」不起立者の再任用問題に特的な「意向確認」の問題でした。仮に、起立斉唱の職務命令が違憲・違法でないとしても、「意向確認」はまったく別次元の問題で、明らかな憲法違反の行為だと私たちは主張してきました。一方、職務命令に意向があるかどうかを確認しているだけで問題はないというのが府教委の主張でした。

控訴審での主張

控訴理由書では、一連の最高裁判決を大量にコピぺし、府教委の主張を丸呑みにした地裁判決を批判して誤りを指摘し、きちんと裁判官自らの頭で考えて判決を出すように求めました。

 まず、控訴審で訴えたのは「意向確認」の問題で、起立斉唱の職務命令を合憲とするこれまでの判例を仮に認めるとしても、「意向確認」は直接的制約にあたり違憲であるとあらためて主張しました。「意向確認」は、これにYesと答えれば合格、そう答えなければ不合格とするという、全くキリシタンの踏み絵そのものやり方で、思想良心の自由の侵害以外の何ものでもありません。また、「意向確認」に対する対応は、教員の日頃の教育活動から当然のものだと訴えました。私たちは就職指導で、思想・信条に関する質問には答えないように指導します。生徒にそう教えてきた教員が、こんな「意向確認」に答えられるでしょうか?! 大阪府の商工労働部も、「意向確認」が採用活動におけるいわゆる違反質問にあたると指摘し、府教委に改善の要請をしています。府教委は改善要請をうけたと認めていませんが、翌年から「意向確認」の文言からは「…国歌斉唱時の起立斉唱の職務命令を含む…」という部分が消えたのです。この事実こそ、府教委自身も意向確認の文言に問題があると認めざるを得なかったことを示しています。

 次に、裁量権の問題です。東京の再雇用拒否を認めた最高裁の2018年判決は「その当時の再任用制度の下にあっては」とわざわざ書いていて、東京都も、2013年の総務副大臣通知以降は採用を義務付けた制度に変更していることを前提として、上告しています。また、最高裁判決では当時の採用実績は9095%で、原則全員を採用する運用が確立されていたとは言えないとしていますが、大阪府では201419年の合格率は99%台後半です。地裁判決は制度の運用状況の違いや社会情勢の変化を全く考慮しておらず、私たちを狙い撃ちにした再任用拒否が、裁量権の逸脱濫用にはあたらないとした一審判決は明らかに間違っていました。

 高裁での逆転の勝利判決                          

 裁量権については、私たちの主張をほぼ認めた形です。まず、「雇用と年金の接続を求める総務副大臣通知が出され、各方面で法的な対応が進む状況下で、大阪府の再任用率は元々高かったが、201417年度で99.7%程度とさらに高くなり、ほぼ希望者全員が採用されるという実情であった」といえるとしています。その上で、私の再任用審査の時点では、「再任用希望者には再任用されることへの合理的期待が生じていて、その期待は法的保護に値するものに高まっており、再任用希望者は再任用選考において、他の希望者と平等な取扱い受けることについて強く期待することのできる地位にあった」と認定しました。そして、「再任用選考で、平等取扱いの要請に反するなど、客観的合理性や社会的相当性を著しく欠くと認められる場合には、裁量権の逸脱又は濫用として違法と評価される」と述べています。私たちの主張の中で、「期待権」という言い方はあまりしていなかったのですが、東京の訴訟で地裁・高裁の勝訴判決につながった早稲田の岡田先生の意見書をもとにした主張がここに生きているのだと思います。

 そのような認定の下で、具体的にボクの再任用可否の判断について、ボクと同じ年に再任用を希望し、審査に合格したA氏との比較を中心に検討しています。A氏は生徒への体罰を繰り返して私より重い減給の懲戒処分をうけたものの、反省の態度等を考慮し、総合判断として再任用を可とされたものです。判決では、ボクとA氏の合否判断の差を、「懲戒処分の軽重よりも反省の態度等を過度に重視したもので、合理性を欠くといわざるを得ない」と断じました。審理の中で、府教委は反省をしているから合格としたものではないと弁明していましたが、裁判所の求める合理的な説明はできていなかったのです。処分の軽重を逆転した合否判断は直感的にわかりやすい話で、これまでも再三主張してきたのですが、これまでは府教委の「総合判断」というブラックボックスの中での合否判定を黙認するばかりでした。やっと、普通の感覚の判決が出されたと感じました。

 その他に、勤務実績等についての4項目の校長の内申がいずれも「適」であったことや、不起立による戒告処分以外に問題とされる点がなかったことなどをあげています。総合的判断というなら、こういった要素が当然考慮されなければなりません。総合的判断で再任用選考の結果を「否」とされて、多くの再任用希望者の中で、私が教員として最低だというのかという強い憤りを感じたことを思い出しました。

 また、過去の「日の君」裁判の判例の「戒告より重い処分を選択することについては、事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要となる」という部分を引いて、再任用拒否が懲罰(= 実質的な首斬り)的な意味合いを持っていることを示唆し、「再任用の合否判断にも事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が望まれるべき」としています。

 その他にもいくつかの理由をあげて、府教委の「不採用」の判断が、客観的合理性や社会的相当性を欠くと断じ、府に過失があるので約315万円の賠償金を支払うように命じたたわけですが、そこにあげられた理由は私たちにはいちいち腑に落ちることばかりでした。なぜこういうことが、今までの裁判所では書けなかったんだろうと、逆に不思議に思えてきます。

 このように、高裁判決は裁量権については私たちの主張を反映させ、私に対する再任用拒否を裁量権の逸脱・濫用にあたるとして府教委の賠償責任を認めました。ただ、私たちが強く訴えてきた「意向確認」の問題については、ほぼ原判決を維持して、「意向確認」は違憲・違法とは認められないとしてしまいました。ただ、原判決の1行分だけを削除しています。そこは「再任用されないことをもって、新たな懲戒処分ないし制裁を科されるものとは言えない上」という部分でした。これは、府教委が主張するように「再任用は新たな任用だ」というだけではなく、再任用拒否が懲罰的な側面を持っていることを指摘するものではないかと思います。裁判官の感覚が私たちに近いところにある気がしました。

 「意向確認」の違法性を認めなかった点については非常に残念に思いますが、この判決で、「君が代」不起立者を再任用から排除することがはっきり違法とされ、これまで府教委が不起立処分者を差別的に取り扱ってきたことが明確になりました。大阪では「維新の会」一派が「君が代」強制に抗う者を教壇から引きずり下ろそうとしてきました。それが、同一職務命令違反3回でクビにするという条例や、不起立者への再任用拒否だったわけです。今回の勝利判決が、「君が代強制に少しでもブレーキをかけるものになればうれしいと思います。

 最高裁へ 

府教委は、判決からたった1週間で上告(受理申立)を府議会に提案しました。普通なら期限ギリギリまで検討するのではないかと思います。Y知事の鶴の一声があったのではないかと勘ぐりたくなりますが、どうだったのでしょうか?

 高裁で勝利判決と言えるものが出たのは、「君が代」問題は決着済みとして、過去の判例の切り貼りで判決を書いてしまう裁判官が多い中、訴えに真摯に向き合う裁判官たちが担当してくれたからだと思います。裁判官によって判決が変わってしまうというのもどうかとは思いますが、今回は裁判官に恵まれたことも素直に喜びたいと思います。

 高裁判決で、「意向確認」が違憲・違法であることを認めなかったことについては、個人としては非常に不満なのですが、最高裁でひっくり返されない判決にするためであったのかもしれないとも感じています。これまでの最高裁の判例に触れない形で、裁量権の逸脱濫用の部分ですくい上げようと考えたのかもしれない。高裁の裁判官が最高裁にあがったときのことも考えて書いてくれた判決なら、最高裁で維持される可能性が高いのだと今は信じています。

 今回の判決にも、これまでの裁判闘争や運動の成果が生きている部分がたくさんあると感じています。「意向確認」の違法性を判決で認めさせることはできませんでしたが、私たちの運動が府の商工労働部から改善要請を引き出し、府教委に「意向確認」の文言を変更させ、そこを訴え続けてきたことが、裁判官にこちらを向かせることにつながったのではないかと思います。さまざまな人たちや運動とのつながりが、今回の勝利判決を生んだのだと思います。今回の判決が、現場で苦しんでいる皆さんに少しの勇気と希望をもたらすものになればうれしいと思います。