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2023年2月10日金曜日

包囲ネット2/4集会報告 その一

 包囲ネット2/4集会報告 その一

2月4日、都教委包囲首都圏ネットワーク主催の第19回「2・4総決起集会~学校から始まる改憲と戦争~」が、日比谷図書文化館・コンベンションホールで開かれ67人が参加しました。(渡部さんの報告です。)

★最初に、中央大学・池田賢市教授の講演がありました。

この講演内容は、テーマとはちょっと離れたような内容でしたが、私たちの教育にたいする既成概念を再検討することの重要性を教えてくれるものでした。戦争に向おうとする学校教育に対する根本的な問題提起でもあったように思います。

以下、レジュメに沿ってその内容の一端を紹介します。











■はじめに

 (教員が児童に「〇〇について、あなたの意見を書いてください」 という課題を出す例をあげて) ・・子どもたちにとっては「苦痛」・・・。なぜか。つまり、学校では、自分の意見を形成するのではなく、いかに他者(教員)が正しいとする答えを見出すかを子どもたちに強いていることではないか。

 こうして、「積極的に受け身(!?)」な人間が形成されていく。


1,自主性を育てると称して、実は権力関係を構築していく実践

(1)子どもたちに自身による「校則」の自主制定

 ・・・現状の校則が禁止事項の羅列であるという点を批判的に検討せずに子どもたちに校則をつくるように促すなら、この取り組みは、非常に危険なものとなる。つまり、子どもたち自身に自らの自由を束縛する方法を考えさせることになってしまう。

・・

(2)「いいとこ探し」の実践

 ・・学年当初のクラスづくり(友だちづくり)などでは有効だとの報告もあるが、恒常化すると、最終的には、相互監視システムを構築していってしまう。・・そもそも、なぜ「いいところ」を介さないと、横のつながりがつくれないのだろうか。・・・結局は、教員が「いい」と思うことを忖度して、子どもたちは、お互いを「評価」し合っているというのが現実である。


(3)教員の「うなづき」

 ・・教員が頻繁にうなづくと、そのうち子どもたちは教員がうなづくようなことしか言わなくなっていく。・・要するに、他者の顔色を伺いながら話すようになっていく。・・他者がどう反応しようが、自分の意見を発言できなくてはならない。そのような環境をいかにつくっていくかが、いまの教育課題である。


2,日常の学校教風景の中に「人権」課題をいかに見出すか

 ・・わたしは小学生のころ「忘れ物」が多い子どもでした。(と紹介し、それには理由があったことを語り)・・問題はつねに個別的・具体的に起こるが、それを通して、その問題を生み出す社会構造を見抜く必要がある。


3,「がんばる」ことを伝えようとして・・・

 ここには、「がんばって何かができるようになることが大切だ」という一元的な価値しかない。しかも、それは、いわゆる健常者と同じようなこと、あるいはそれ以上のことができるから、「障碍者だってすごい人たちなんだ」という障碍者差別にまみれた認識でしかない。

 ・・なぜ、そのままの姿でその存在が承認されないのか。しかも、「がんばっている」かどうか、「できる」かどうかは他者からの評価であって、自己申告ではないのだから、・・がんばり続けるしかない。この発想が子どもたちを(教員も)精神的にも肉体的にも追い込んでいく。


4,社会構造への着目

 人権(・・)は、きわめて具体的な事象としてあらわれる。それは、決して抽象論ではなく道徳的な問題でもなく、社会的な課題。それは社会的な「構造」によって生み出された課題であって、個人的な心構えで解決するような問題ではない。

 ・・わたしたちが生きているこの社会は差別社会(・・)であると認識することが大切になってくる。私たちの課題は、差別・排除を生み出していくメカニズムに気づき、そのような構造自体を変えていくことにあります。・・・学校は、差別構造の構築と維持に重要な役割を演じている。


5,差別は「関係性」の中で形成されてくる

 子どもの具体の姿を、複雑なまま引き受けること。実際の学校現場では、子どもたちは「評価のまなざし」にさらされ続け、個別の課題は「学校」というフィルターを通すことで、一元的な枠で同質化されていく。そのことを問い直す問題認識のあり方が重要になる。


6,個人的体験から差別の「構造」を問う。

(1)「早寝・早起き・朝ごはん」指導

 「朝食」チェックは、その子どもの「生活」理解がなければ、単に「食べたかどうか」 のチェックに終わってしまい、人権解決の課題に結びつかない。ただ「食べればよいわ けではない。

(2)「いろんな」子がいた(いるはずだった) (子どもたちの生活経験)

  ・・おんぶ紐で妹を自分の背中にくくりつけている同級生。私は自転車でダスキンの 交換へ。

(3)物には「正当な値段」がある。(社会のしくみを見抜くために)

(4)「下水」が整備されない。 (行政の対応の検討)

(5)「一言」の影響力。 (人々は影響し合っている)

 ・・・具体的にいえば、親(あるいは「重要な他者」としての教員)の「一言」 の影響力。


7,「準備」ではない学びを

 今日、さまざまな教育政策、そして学校現場での実践を支えている発想には、「準備としての教育」と言う考え方がある。

 ・・なぜ、いま学んでいること自体に意味がある、ということにならないのか。

 ・・・子どもたちは、小学校に入る前から、ず~っと「準備」に追われている。

 一体いつ「本番」が来るのか。たぶん、それは来ない。なぜなら、自分の本心から立てた目標ではなく、「困るぞ」と脅されているだけなのだから。

 ・・・

 「逆算」するのではなく、家庭環境と学歴、学歴と生活条件との間の相間関係を問題としなくてはんらない。このつながりを断ち切るような思考をしたい。そうでないと、教育への権利も生存権も確保されている状態とは言えない。(憲法違反の状態が続く)


おわりに

 いま、・・・教育を保障するはずの「制度」がかえって学びの権利を奪っている。・・おそらく教育が、優生思想を正当化する方向に進んでいってしまう。準備としての学びではなく、知ること、考えること自体に意議があり、それゆえに生活が楽しくなるような学校を、子どもと教職員とがともに創造できるような活動を模索したい。

・・「よくわからない」ことこそが大事だということ。わからないからこそ、子どもの声をきかなくてはならない。

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いかがだったでしょうか。

目からウロコが落ちたのではないでしょうか。まさに池田さんは、子どもの実生活を注意深く観察しろ、そこには解決しなければならない社会的課題があると述べています。


戦前、農村恐慌で生活が苦しくなった地方で、教員たちは子どもたちの厳しい生活に寄り添って「綴り方教育」を展開し、子ども達とともに現実を直視する「生きた教育」を発展させました。いままた、新たな貧困と戦争前夜の日本社会で、再び時代に応じた「綴り方教育」が求められているのではないでしょうか。


次回は「現場からの報告」です。