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2013年3月10日日曜日

卒業式門前チラシ撒きの報告

■3月1日(金)から都立高校の卒業式が始まりました。包囲ネットは例年通り、卒業式当日、いくつかの高校門前でチラシをまきました。報告があったものについて、紹介します。

<A高校>ビラまき人数3人   8時~10時まで
  15分経ったころ校長が来て、「生徒にビラをまかないでください。敷地内に入らないこと。登校の妨げにならないようにして下さい。」と言ってきました。その後は何も言ってきません。
  ビラはけは良かった。自転車通学は多いですが、止めて受け取ってくれました。300枚ぐらいまけました。雨も降らず暖かくてよかったです。

<NK高校> 天気予報では「暖かい」ということだったが、朝の時間帯に外にずーと立っているので、やはり寒かった。7時50分頃から撒きはじめる。先生たちも生徒たちもほとんど受け取った。
 若い先生に渡したチラシを、ポールに旗(日の丸、校旗、都旗)を付けていた教員が取って、スーツのポケットに入れる。それで、その先生に、「何も人から取らなくてもあげますよ」と声をかけたら来たので渡す。
 8時40分頃に校長が出来て、「敷地内には入らないでください。生徒には配らないでほしいです。」(生徒さんに配るためにきたんです) 「本校では指導要領に基づいて適正にやっていますから」と言った。
 2人で約300枚くらい撒いた。

<RK高校> 8時から10時まで、寒風の吹く中2人で300枚配布。受け取り状況は良好。他にも「大田区民の会」のメンバーが数人で別のビラを配布していた。
 9時過ぎに、副校長が来て、「敷地の中に入るな、通行のじゃまになるな。生徒には配布いないでほしい。」 黙っていると「いいですね」としつこい。当然無視。
 9時20分ごろ、今度は都教委とおぼしき者とともに来て、「通行のじゃまになるのでビラ配布はやめてほしい。」と言う。無視しているとしつこいので、「ビラ配布は憲法にも認められていることだ。どこに中止させる理由があるのか。都教委に指導されたのか。」と言うと、「私の判断です。」と返答。
しばらく後に、今度は穏やかな口調で、「都教委からいつ指導があったのか」と聞くと、「あなたに答える必要はありません」だって。じゃあ、独り言をつぶやいただけか。

<GS高校>
 第五商業高校の卒業式に参列する卒業生と保護者、教員に向け、「ご卒業おめでとうございます」とのタイトルがぱっと目につくチラシを手渡した。私たちは2人。

 7時半から始め10分ほど経った頃、副校長がやってきて、挨拶に続けて「よろしくお願いします」と言った。「よろしく、とおっしゃるのは、どうよろしく、ですか」と訊くと、「生徒の迷惑にならないようにということです」と副校長。「もちろん、心がけています」と返すと、副校長は頭をやや下げ、戻っていった。

 さらに10分経った頃、校長が出勤してきた。 「また、いらっしゃいましたね。生徒によろしくお願いします」とおっしゃる。副校長と同じことを聞くことになった。「どう、よろしく、ですか」。校長は、「晴れの門出ですので、生徒に動揺を与えないよう、配布はしないでください」と言った。 「生徒に動揺を与えるというならば、それをしているのは都教委です。今朝は、生徒に手渡すために来ています。チラシで動揺はしません。」と答えると、それ以上は言わずに、中に入って行った。

 ここでは昨年も今年も、生徒、保護者とも受け取りがいい。
 私たちは生徒たちには、卒業おめでとうございます」の他に、「『日の丸・君が代』の強制に反対しています。読んでみてね」などと声をかけながら、手渡した。

 6人でおしゃべりしながらやってきた生徒たちに声をかけると、「私たちの先生も反対しています。(「日の丸・君が代」のこと)授業で習いました」と一人が返してくれた。 そこで、「私も教員をしていたの。私も授業で話してきたわ。この学校で、授業で話されたのは、誰かな」と投げ返すと、「○○先生」。他の生徒も、「うんうん」と。 「私は「君が代」起立をしなくて、何年も学校に来るな、給料やらない、という処分を受け続けたの」と言うと、皆目を丸くして、「そんなのひどい!」。 「私が『日の丸・君が代』の強制に反対するのはね」とひとしきり立ち話をした。「授業を聞いたみたい」と生徒。その後、写真を撮ってあげて、見送った。

 250枚くらい用意していったが、式の始まる30分前にはチラシはなくなってしまった(卒業生は190人ということだった)。差し出すチラシが風にあおられるほど風が強く、寒かったけれど心を温かくしてもらえたチラシ配りだった。

 「日の丸・君が代」及びその強制が何なのか、私はどう考えるかを、生徒たちに話し、投げかける教員が学校に一人でもいれば、生徒は考えようとすることが、ここでも証明された。

 戦前・戦中と同じように、子どもたちが国家の色に染まるのは第一に教員たちの沈黙によることを、教員には厳しく問うてもらいたい。
 「沈黙は加担すること。いじめに沈黙することはいじめに加担すること」と、教員たちは生徒に言ってきたはずなのに、どうして自身のことになると、見えないのだろうか。
真摯にご自身と向き合おうよ。