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2019年8月1日木曜日

7/21 第9回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会

7月21日(日)参院選の日、東京・日比谷図書文化館で、東京と大阪の教職員が中心に
『第9回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会』
    ~教育の国家支配はゴメンダ!~
が開かれた。(124名参加)

新潟大の世取山(よどりやま)洋介さんが「『日の丸・君が代』と子どもの良心形成」という講演を行った。


















講演内容は大変具体的で豊富なものであった。しかしここでは、残念ながらその全体を紹介できないので、まず、講演レジュメにあるその骨子を以下に紹介する。
<1、安倍第2次政権における教育再生実行改革>
 (ア)「人材育成」に基づく国民の「統合と排除」
 (イ)その展開(1)行政組織、学校体系、学校組織の改革
 (ウ)その展開(2)教育内容改革
 (エ)その展開(3)「生徒指導」
 (オ)展開の全体的特徴
 (カ)この流れのもとにあって学校で起きていること
    ①学校 ②教師 ③子ども
 <2、「日の丸・君が代」問題の位置づけの変化
 (ア)競争的環境の中で競争を行う階層的学校づくりの手段
 (イ)陳腐化した教育の中で「光り輝く筋」(?)としての国家への
    帰属意識・忠誠意識の涵養の手段という新しい位置づけ
 (ウ)道徳の「特別教科化」にもかかわらず「共同体」イメージの
    ねつ造が進んでいないからこそ、イメージねつ造と
    日の丸・君が代の利用が進むはず
 (エ)「日の丸・君が代」の位置づけの変化
  <3、子どもの非宗教的良心形成と教師・学校>
 (ア)外界に関する認識の統合+自らの行動を律する価値体系
 (イ)ではこのような連続体はどのようにして形成されうるのか?
 (ウ)国連への説得活動の現段階
 (エ)以上のような教師と学校を再構築するという課題と
    連動させながら「日の丸・君が代」強制ないしは
    政治的利用の反対という活動の重要性
そうして、<おわりに>のところでは以下のようにまとめられていた。
 ・「教師への『日の丸・君が代』強制は、子どもへの強制に帰着する」という当初から確認されていたテーゼが正しいということがわかったということ。
 ・「日の丸・君が代」問題の意味を市民に広く理解してもらうには、教育とはそもそも何なのかということを理解してもらうことがポイントに。
いずれの項目も、最新の具体的な例を紹介して講演されたので日本の教育が現在いかにおかしな方向に向かっているかがよく理解できた。
その中で、
<1、安倍第2次政権における教育再生実行改革>
(カ)この流れのもとにあって学校で起きていること
 のところでは、以下のような項目で説明された。
  ①学校
   1、責任の範囲の人格の全面的発達から「学力」形成への縮減
   2、フラットな協働的組織から階層的な上位下達的組織へ
  ②教師
   1、本務である「教育」の授業への縮減
    (授業準備も自主研修も総労働時間の中に組み入れられていないのでなお顕著)
   2、本務である「教育」の一環としての「生活指導」は規則制定と
     罰の機械的用に縮減(ゼロトレランス)
  ③子ども
    1、自分のことを全対としてわかってくれている大人が学校には不在
   2、陳腐化した授業を受けることだけが学校に行くことの意味

結局、子どもたちにとって学校は、「陳腐化した授業を受けることだけが学校に行くことの意味」となってきているのだ。
教員や生徒たちの自主的創造的な活動がことごとく潰されつつあるのだ。
学校はきわめてつまらないものになりつつあるという事だ。
それは、教職員の処分を背景に行われる全国一律の儀式的な「日の丸・君が代」強制の卒・入学式の導入が始まりでもあったといえる。
そして「陳腐化した授業」は、どのようにしてできたのかについては、その上にある
(ウ)その展開(2)教育内容改革の①のところに次のように述べてある。
「2018年学習指導要領による全国的最低水準の維持のための統制から、方法にまでおよぶ全面的な統制へ。方法改革を梃子にした教育の規格化・陳腐化(アクティブラーニングとICT活用による子ども・教師の相互的関係に基づく授業の排除)。」
まさに最新の技術を用いて、「陳腐化した授業」が行われるようになっているのである。

次回(各地の現場からの報告)につづく。