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2017年4月27日木曜日

4/26 東京「再雇用拒否」第三次訴訟 高裁が控訴棄却の不当判決 第一次訴訟判決、第二次訴訟と異なる判決

4月26に(水)東京「再雇用拒否」第三次訴訟の高裁判決がありました。控訴棄却の不当判決でした。原告3人は直ちに最高裁に上告しました。
近藤徹さんの報告です。

◆再雇用拒否を容認し行政に追随する不当な判決―原告らは上告を表明

4月26日(水)午後東京高裁で、東京「再雇用拒否」第三次訴訟の判決があった。東京高裁(永野厚郎裁判長)は一審東京地裁判決を踏襲し再雇用について東京都の広範な裁量を認め、一審原告らの控訴を棄却した。
〈判決主文〉
1.本件控訴をいずれも棄却する。
 2.控訴費用は控訴人らの負担とする。

裁判所が「憲法の番人」としての役割を完全に放棄した典型的な行政追随の不当判決だ(怒)。裁判所前で抗議のコールを上げた。

●あきらめず最高裁での逆転勝訴をめざして闘う
東京高裁の不当判決を受けて、控訴人(3名)らは、直ちに最高裁に上告することを表明した。記者会見を終えて報告集会に来た控訴人らは、決してあきらめず最高裁での逆転勝訴をめざして闘う決意を述べた。
卒業式で「君が代」斉唱時に起立せず「職務命令」違反として処分を受けたのに加えて、同じ理由で退職時に再雇用を拒否するのは余りにも理不尽だと3人の都立学校教員が、2014年1月15日に東京地裁に提訴してから3年3ヶ月余。一審東京地裁で敗訴(2016年4月)しながらも東京高裁に控訴して闘ってきたこれまでの道のりを思うと、怒りを禁じ得ない。

●「結論先にありき」の不当判決
判決は、「結論先にありき」で控訴人らの主張を斥ける一方、徹頭徹尾都教委の主張のみ採用している。「国旗・国歌」を「指導するものとする」とした文科省の学習指導要領を根拠に教育委員会(都教委)が「具体的な命令を発することができる」と判断している。同通達により生徒が主人公であるべき卒業式が「日の丸・君が代」が主人公の式に変質してしまったという認識などさらさらない。それどころか学習指導要領の国旗・国歌条項に関して、「これからの国際社会に生きていく国民として、・・・国旗・国歌に対する正しい認識とそれらを尊重する態度を育てることが重要である」と文科省の「解説書」と同じ主張をする。これが裁判所か。まるで文科大臣や安倍首相の「答弁」みたいだ。
憲法19条(思想・良心の自由)、同20条(信教の自由)、国連自由権規約18条(思想、良心、宗教の自由)、都教委の裁量権・逸脱濫用があるかどうか等の「争点」についてもいずれも控訴人らの主張は「採用できない」とか「理由がない」と述べる一方、都教委の主張をほぼ全面的に採用する典型的な行政追随の判決である。

●「わいせつ、体罰、公金横領」などは採用、不起立は不採用~社会常識に反する判決
判決は、「わいせつ、体罰、公金横領」などで停職などの重い処分を受けても採用されている事実を認めつつ、不起立のみを理由として再雇用を拒否されたことを「職務命令違反という重大なる非違行為」という都教委の主張を肯定し、都教委が「広範な裁量権」を有するからと本件採用拒否を容認する。「わいせつ、体罰、公金横領」は採用に合理性があるが、不起立者は採用しない、という都教委を徹底的に擁護する。世間の常識なぞ「どこ吹く風」という判決だ。

●不起立を罪人視
さらに判決文は、卒業式で「大多数が起立する中で、積極的な妨害行為に及ばずとも、一部の教職員が起立しないことは、・・・式典の厳粛さを大きく害する」として控訴人らを非難するのである。さらに「・・・公務を円滑に遂行すべきところ、控訴人らは、公然とこれに反する行動をとった」と卒業式で黙って座っていた控訴人らを示威行為をした「罪人」のように論難する。都教委、安倍政権などが「躍り上がって喜ぶ」判決だ。「共謀罪」法案が通ったら司法(裁判所)も「権力の手先」となると思わせる。読んでいて怒りがこみ上げてくる。

●「日の丸・君が代」で染め上げる「教育」は「戦争への道」~負けるわけにはいかない! 逆転勝訴をめざして頑張る一審原告らを支援しよう。展望はある。
再雇用二次訴訟(一審原告22名)は、一審東京地裁(2015年5月)、二審東京高裁(2015年12月)は、不起立による職務命令違反を理由とした再雇用拒否が、原告らの「期待権を侵害」し「(都の)裁量権の逸脱濫用で違法」として、東京都に約5370万円の損害賠償を命じ、原告らが勝訴し、東京都が司法の場で断罪された(都側が最高裁に上告受理申立)。
高裁の判断が分かれたことになり、最高裁の判断が問われる。ここで引くわけにはいかない。

保育所、幼稚園から大学まで「日の丸・君が代」で染め上げる「教育」は「戦争への道」だから。「子どもたちを戦場に送らない」ために踏ん張りどころだ。負けるわけにいかない。