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2016年12月25日日曜日

「東京都におけるチームとしての学校の在り方検討委員会 」

渡部さんからの報告と意見が寄せられましたのでアップします。

都教委は本年6月から、「東京都におけるチームとしての学校の在り方検討委員会」(学識経験者3名、学校関係者3名) というのを立ち上げ、都内公立学校における「教育の質の向上」に向けた多様な人材を活用した学校組織運営の在り方について検討を進めてきた。
去る10月27日にその(中間のまとめ)が出、ホームページ上にアップされた。
 『東京都におけるチームとしての学校の在り方検討委員会(中間のまとめ)』
 http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/2016/pr161027b.html
それを見ると、日本の学校から「民主教育」という言葉が全く消されたと言わざるを得ない。しかも、身勝手かつでたらめな教育史認識によってである。

ところで、この(中間のまとめ)が出る背景には、昨年来の文科省の以下のような動きがある。
昨年12月中央教育審議会は、「チームとしての学校の在り方と今後の改善方策について」
という答申を出した。その中では次のようなことが述べられていた。
 「チーム学校とは、校長のリーダーシップの下、多様な人材が、それぞれの専門性を生  かして能力を発揮し、一体的にマネジメントされ、子供たちに必要な資質・能力を身  に付けさせることができる学校」

ここには、民主的な職場という概念はない。また、「子供たちに必要な資質・能力を身につけさせる」というが、それは上から子どもたちに押し付けるもので、「子どもたちの資質・能力を発達させる」というのではない。さらに、「必要な資質・能力」とはそれを誰が決めるのか。

★また今年1月、文科大臣は「次世代の学校・地域」創生プランを決定した。
その中には、
 ○ 「社会に開かれた教育課程」の実現のため、国は「次世代の学校」 づくりを推進
 ○ 「次世代の学校」づくりに向けて、チーム学校の体制を整備
がうたわれている。

★日本の学校はいま、国家主義教育が前面に出てきた「改悪教育基本法」(2006年)に基づき、「次世代の学校」づくりが具体化されつつある。
この国の動きを受けての都教委の(中間のまとめ)である。したがってこの「チームとしての学校」あるいは「次世代の学校」は国家主義教育が末端まで徹底するような学校だと言ってよいだろう。
だから、「子供たちに必要な資質・能力を身につけさせる」というのは、「国家が必要とする資質・能力」を、上から一方的に「身につけさせる」という事に他ならない。
今回の都教委の(中間のまとめ)は、これらを全面的に受けたものである。しかし、そこには読むにたえないようなことも書かれている。

<目指すべき「チーム学校」像 >という項目の「(1)これまでの学校体制」のところに、次のようなことが述べられているのである。

○我が国の学校は、明治期の学制発布以来の民主的かつ平等の名の下に、同じ学校の教職員は管理職も教員も、その経験や力量、職責や職務内容の違いにかかわらず、対等な立場で学校運営に携わるべきだという考えの下に運営がなされ、そうした考え    による 運営を当たり前とする、学校独自の慣習、いわゆる「学校文化」が根付いて いた。

★「我が国の学校は、明治期の学制発布以来の民主的かつ平等の名の下に・・・」!!
よくもこのようなことが書けたものである。これこそデマゴギーの極致としか言いようがない。こんなデマゴギーを平気で書きながら、「チームとしての学校」あるいは「次世代の学校」を作るというのである。
しかし、都教委はすでにこれまで、何年にもわたりその「民主的かつ平等」な職場体制を、
 ・「主任制」、
 ・「職員会議の挙手採決禁止」、
 ・「副校長制」、「主幹教諭」
 ・「人事考課」、「管制研修の強化」
などでさんざん潰し、「校長のリーダーシップ」を十分強めてきたでではないか。
しかしその結果、職場の協力体制は破壊され、職場から活気がなくなり、病休者・退職者が増え、管理職の成り手さえもなくなってきているのではないか。
それを更に推し進めるのが、「チームとしての学校」「次世代の学校」であるならば、まともな教員はさらに疲弊し、デマゴギーやヒラメ教師だけがのさばり、日本の教育は死滅するといっても過言ではない。