■高嶋さんからコメントが寄せられましたので紹介します。
◆髙嶋伸欣です。
高校の教科書採択で、学校現場からの選定結果が各教育委員会に報告され、今月後半から来月にかけて教育委員会で採択の議決がされる段階になってきたところで、昨年の東京都と横浜市に加えて大阪府と大阪市で、実教版「「高校日本史A(日A302)」と「高校日本史B(日B304)」を学校が選んでも、教委で変更させようとしている動きが表面化してきています。
さらに、本日になって、神奈川県立高校でも、上記の教科書を選んだ高校の校長たちが次々に教委から働き掛けを受けて校内で担当教員に再検討を要請しているなどの動きのあることが、判明しました。
東京都と横浜市は昨年からですが、大阪府・市と神奈川県は今年になってという点で、教委の側に大きな弱点があります。以下の各点を各地の皆さんに参考にしていただければ幸いです。
1.まず教委が問題にしているのは、上記の教科書のどの部分の記述かを、確認して下さい。予想されるのは、東京と同じ「日の丸・君が代」の強制に関する記述の部分ですので、そのことを前提にすると、以下のような問題点が指摘できます。
2.最大の問題点は、この「日の丸・君が代」の強制に関する記述が上記のAとBの教科書では、同一だということです。ところが、上記Aの教科書は2011年度の検定にすでに合格していて、昨年夏の教科書採択の対象になっていました。ですから、東京都と横浜市の教委は昨年から、水面下で採択妨害の行動をし、それが露見して抗議に晒されているのです。
その一方で、その他の教委はこのAの教科書(日A305)については何も問題にしていませんでした。それなのに、今年になって新たに登場したB(日B305)だけでなく、A(日A305)まで問題にしているのは、明らかに矛盾しています。行政として、不統一です。
今年の行動が適切であると言うのであれば、同じ記述のある教科書について何も行動をしなかった昨年は、怠慢だったという責任問題で追及が可能です。
3.さらに、昨年の採択で何も問題にされることなく(日A305)の採択が認められた高校では、すでに今年の4月から同書で生徒たちが、学習を始めています。それなのに、教委が同書での学習は不適切という判断を突如として表明し始めたことになります。生徒により良い学習環境を整るという教委の本来の役割を、教委自ら侵害する行為を強行しつうあるといことの責任追及もするべきです。
4.さらに、生徒は自分たちがないがしろにされたと気付いて、事情説明を教師に求める可能性があります。その場合に備える意味でも、校長や担当教師が安易に教委の意向に合わせることは禁物です。教委に説明のため学校に来るように要求し、生徒に対して謝罪させるぐらいまで迫っても良いはずです。
5.次に、昨年度の採択では問題なしとしたのに今年度は問題ありとして校長などに対する行政行為を教委がしたことは、行政権限に関する法規の恣意的、便宜的な解釈であり、さらに恣意的、便宜的な運用にあたるもの(つまり、気まぐれな法規解釈と運用であるということ)で、それは職権濫用で違法であるという判例が、すでに存在しています。
その法的論理で文部省を沈黙させたのは、第3次家永教科書裁判の東京高裁判決(川上裁判長、1993・10・20)です。この論理によって、争点となっていた8件の検定事例の内の3件を違法検定であると、川上裁判長は認定しました。文部省(当時)はこの論理に全く反論できず、上告を断念しています。家永氏が残り5件についても違法性の認定を求めた上告審で、最高裁の判決では、さらにもう1件を違法と認定した判決を、1997年8月29日に出し、家永訴訟は国側の敗訴で終わっているのです。
今からすれば古い判決ですが、教育行政における行政権力の気ままで不統一、不公正な行使や運用に対して、大きな規制効果を持つ判決です。今回のケースにもこの判決を当てはめることができると私は考えています。
6.上記の問題点を教育委員会に対して突きつけるためにも、昨年の採択で(日A305)が県内の高校で実際にどれだけ希望してその通りに認められているかのデーターを把握しておくと、効果的です。できれば、同書を使用中の生徒数も把握しておきたいところです。
この情報収集については、上手な方法を工夫してみて下さい。また情報が判明した時には、公表して共有化を図って下さい。
7.次に、さらに教育委員会に迫る方法としては、仮に今年度の採択で教委の指導、圧力などで上記の2冊から別のものに変更されたことが判明した場合、それは上記5で指摘した違法な行政権限の行使によったものであるとする主張が可能になりますから、2014年度の授業開始に向けた教師が使用する教科書の購入のための公費支出、さらには教師用の指導書の購入のための公費支出に対する異議申し立て=監査請求が可能になります。
監査請求で主張が認められないことになったときは、請求者は住民訴訟を起こす原告資格を持つことになっていますので、法廷で関係者の責任を追及することも可能になります。そうした住民訴訟の前例が神奈川県にはすでにあって、全国でも参考にされています。
8. そうした監査請求や住民訴訟が起こされた場合、教委は校長が別の教科書に選定を変更したので、それを承認したにすぎないとして、責任を校長に転嫁する可能性が強くあります。校長が訴訟で被告にされないようにするためにも校長や担当教師はあくまでも最初の採択希望の変更に応じないようにすることが必要です。
校長たちが孤立しないように、支援の取り組みを工夫して事例の情報交換などもしましょう。
9.さらに、小・中学校の教科書は無償ですが高校では有償で、保護者が購入しています。その保護者がこうした不公正で違法な教委の権限行使によって決められたことに納得できないとして、異議申し立てをすることも考えられます。前例がほとんどないことですが、教委のこうした違法行為自体が前例のないものですから、前例の有無は問題にならないはずです。保護者の教育権と責任をめぐる形で、国や教委の権限を強化する方向にある最近の教育行政の適否に対する議論の一つの場面にもなりそうです。
10、長期的な展望からの提案ですが、上記7や9の件で具体的な行動が起こされた場合、広く社会全体にその行動の意味を伝える取り組みをすることが、同じような行動をする教委の出現を防ぐことにもなります。
それに、記者会見などを通じてマスコミなどでの報道があれば、「広く社会に知られている事柄であれば教科書に記述しても良い」という検定の条件を満たすことになります。そうなれば、次の検定に提出する教科書に今回のことを、ありのまま記述することが可能になります。すでに、高校の教科書には、教科書問題が多数記述されています。今回の件が記述された時、時には大人以上の正義感を示す高校生が、どのように教委を評価するか、教室での審判を教委に覚悟させましょう。
11、学校での授業の具体的な内容の最終的な決定をする権限、教育課程(カリキュラム)の最終決定権は学校現場にあります。このことを、文科省も認めています。その権限と表裏の不可分の関係にあるのが教科書採択権です。
世界の民主主義国家で、教師の採択権を認めていない国は、国定教科書の場合以外では、日本だけです。それでも、これまでは高校の場合は学校の希望通りにするという運用でかろうじて教師の採択権が犯される状況を出現させないように教育関係者たちが暗黙の共通認識で対応して、事なきを得ていたのです。
それが、「つくる会」の出現を機に、教育委員会に採択権があるとの建前論を振りかざす勢力に政治家が同調し、事態を大きく変えてここまで混乱を広げてきたことになります。
12.神奈川県の場合、県議会で改定教育基本法の主旨に相応しい教科書の採択を求める請願(?)が採択されていたので、こうした事態が予想されたとも言われますが、それが排除の根拠とされたのであれば、これまた県教委は恣意的、便宜的な解釈で権限の行使に踏み切ったことになります。
13. 改定教育基本法の趣旨により相応しい教科書の採択を求める請願等に対しては、改定学校教育法の高校教育の目標を定めた第51条に「健全な批判力の育成」が明記されていることを指摘することも、効果的ではないかと思います。
以上、とりあえずの個人的なメモとしてまとめました。それぞれの地域での取り組みに何か役立つものがあれば幸いです。
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