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2013年8月11日日曜日

8/6 大阪・高槻市の被処分者の山田さんの人事委員会口頭審理

■高槻市の教員で「君が代」不起立処分受けた山田肇さんの人事委員会の口頭審理の内容と、渡部さんのコメントを紹介します。

◆前提
 自民党の改憲草案第1条では、「天皇は日本国の元首であり…」として、第3条では、
「1、国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
 2、日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。」と述べてあります。

▼8月6日、2011年3月「君が代」不起立で戒告処分を受け、決まっていた再任用も取り消された大阪府高槻市立小学校の元教員・山田肇さんの人事委員会第一回口頭審理がありました。

 山田さんは冒頭陳述の前半部分で、「日の丸・君が代」に関し、以下のように述べました。(少し長くなりますが紹介します)

▼山田さんの証言
★私は、1975年4月に大阪府・高槻市の小学校教員として採用され、芥川小学校に始まり南平台小学校まで、合計37年間、教師として子どもたちの教育に携わってきました。
 私は、教師として、教育の根本は、仏教で言う『諸悪莫作(しょあくまくさ)、衆(しゅ)善(ぜん)奉行(ぶぎょう)』だと考えてきました。

 つまり、「悪いことはするな。いいことをしなさい」ということです。また、「悪いことは改める」ということです。それが、子どもたちに言ってきたことであり、また、自分の人間としての生き方にしようと考えてきました。
 また、国のあり方についても、「いいことを行い、悪いことは改めて進む」のが正しいと考えてきました。

★担任をした時は、子どもたちの作文や私の考えを載せた『学級通信』を出してきましたが、6年生の『学級通信』の最後には、子どもたちの1年間のがんばりを誉めたあと、私が子どもたちに“望むこと”として、
「一つ一つのことをしっかり自分の頭で考え判断しながら、確かな自分をつくっていってほしい。」と、いつも、書いてきました。私自身も、一つ一つ「自分の頭で考え判断」して生きていきたいと、考えていたからです。

★そのように考えてきた私にとって、卒業式や入学式に『日の丸』『君が代』が強制的に持ちこまれることは、正しいことなのかどうなのか?
「しっかり自分の頭で考え判断」して、絶対に納得のいくものではありませんでした。 なぜなら、『日の丸』はつねに日本の侵略戦争とともにひるがえり、また、『君が代』は教育勅語、御真影=天皇の写真とともに、天皇制国家をたたえる儀式であった四大節で子どもたちに歌わせ、子どもたちを天皇の『忠良なる臣民』にしたてる歌でした。これが歴史の真実です。
 「歴史の真実」に反すること、教育基本法が言う「真理と正義」の立場に反することは、 人間として、子どもたちの前に立つ教師として、絶対にできません。

★教育委員会と校長は、「法律に従うのが教育公務員だ。」と言います。
しかし、日本が朝鮮・中国・アジアに侵略戦争をしたこと、それを進めた天皇制国家、また、戦前・戦争中の教師が、天皇制教育の下、子どもたちを「天皇の忠良なる臣民」にしたてる教育を行い、教え子を侵略戦争の戦場に送ったこと、そして、その教育の大きな道具としてあった『日の丸』『君が代』について、また、それが今なおあり、学校に強制的に持ちこまれていること、いや、先頭になって持ちこんでいることを、
校長と教育委員会は、如何に考えるのでしょうか?

★私は、処分者である大阪府教育委員会に、上の歴史の真実をいかに考えるのか、4点にわたって釈明を求めました。だが、府教委は、歴史認識、歴史観等について、黙して語りません。それらの「歴史認識、歴史観等について釈明する必要性は認められない。」
そして、「国旗及び国歌」は「学習指導要領に規定されている」。「国旗及び国歌に関する法律」で定めている。「大阪府国旗・国歌起立斉唱条例」がある。
「以上のことから、『日の丸』『君が代』を卒業式に持ち込むことは間違っているとの申立人の主張は失当である。」と書きます。
 私は、いずれが「失当」か?「真理と正義」の立場に立つのは、いずれか?と問いたいと考えます。

★かつて、西ドイツの大統領ヴァイツゼッカーは、「過去に目を閉ざす者は現在に盲目となる。」と演説しました。過去の歴史から学ばないと、未来はありません。
また、ルイ・アラゴンは、「教えるとは、希望を語ること。学ぶとは、誠実を胸にきざむこと」と詩に書きました。
 教師が歴史の真実を「誠実に胸にきざ」まないと、子どもたちに「希望を語ること」はできません。

★侵略と戦争の旗『日の丸』を仰ぎ、天皇をたたえる歌『君が代』を立って歌うことは、
「誠実に」「歴史の真実」に立って子どもたちの教育を行おうと考える私や日本の教師にとっては、絶対にできないこと、譲れない一線であります。
 そして、私は、日々、子どもたちに「いい、悪いをしっかり自分で考えて発言したり行動したりするように。」と言ってきました。そう言ってきた私が、『日の丸』『君が代』とは何なのか?を考えず、職務命令だからといって、ユダヤ人虐殺の責任者=ナチス・ドイツのアイヒマンのように「私は命令に従っただけだ。」と言うことは、人間として、教師として絶対できません。
 『日の丸』『君が代』が「真理と正義」に立ったものかどうかを考えて行動するのは、 教師としての『良心の自由』であり、『義務』でもあると考えます。

★また、子どもたちを人間としての成長に導くべきはずの教師が、戦前・戦争中は、「人の子の師の名において」教え子を侵略戦争の戦場に送りだし、数多の子どもたちを殺してしまいました。
 私は、それをくり返してはいけない、『教え子を戦場に送らない』という決意で、『日の丸』と『君が代』が卒業式に強制的にもちこまれることに反対を表明し、『君が代』と同時に、毎年、ささやかに静かに座ってきました。
『教え子を戦場に送らない』という決意で、『君が代』で着席することは、教師としての『良心の自由』であり、『良心の義務』にもとづくものであります。この『良心の自由』を憲法第19条は保障しています。
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◆渡部さんのコメント 戸坂潤の紹介
★ここには、『教え子を再び戦場に送るな!』の考えの下、戦後一貫して教育の反動化・軍国主義化に抗し闘ってきた教員たちの考えが簡潔に表現されていると思います。
 それが今、自民党などは憲法改悪とも結びつけ、そうした教員たちを現場から徹底的に排除しようとしているのです。

★ところで、戦前の哲学者・戸坂潤は、1935年に『日本イデオロギー論』という本を出しました。(岩波文庫にあります)
しかし、彼は1938年11月29日に逮捕され、1945年8月9日に酷暑の長野刑務所の独房で栄養失調のため獄死しました。
 彼は『日本イデオロギー論』の中で、「ファシズム」と「天皇制」に関して、次のようなことを述べています。

「独占資本主義が帝国主義化した場合、この帝国主義の矛盾を対内的には強権によって蔽い、かつ対外的には強力的に解決出来るように見せかけるために、小市民層に該当する広範な中間層が或る国内並びに国際的な政治事情によって社会意識の動揺を受けたのを利用する政治機構が、取りも直さずファシズムであって、無産者の独裁に対してもブルジョアジーの露骨な支配に対しても情緒的に信念を失った中間層が情緒的に自分自身
成功しそうに見える比較的有利な手段が之なのである。」

「精神主義はそこではもはや単なる任意の精神主義ではあり得なくなって(・・)正に復古主義とならねばならぬ。併しこのことは又、復古主義がこの普遍的で世界的な一規範である市民意識としての精神主義を通過することによって、之まで述べた漠然たる復古主義であることを已めて、ハッキリと限定された精神主義・日本精神主義・として、一つの政治観念にまで市民的常識への発展を遂げる、ということを意味する。皇道精神がこれなのだ。
 ……皇道主義こそだから、日本主義の窮極の帰一点であり、結着点なのである。之は、私が今まで分析しながら触れて来た一切の規定を、最後に統一総合した総結論なのである。」