近藤順一さんの 「日の丸・君が代」処分(戒告から停職まで)累積加重処分取消裁判 ニュース(第134号)を送ります。
◆「彼を知り己を知れば百戦あやうからず」
今後、相手にすべきはどんな事態? どんな相手?
2013、始動した都政・国政
安倍政権が特使派遣で韓国との握手をはかる一方朝鮮学校への高校無償化拒否を打ち上げ、猪瀬都政は2020「東京オリンピック」開催をうちあげた。参議院選挙までは“爪を隠す”という大方の見方に反して、むき出しの既定路線を歩み始めた。昨年末の都政・国政選挙を受けて各方面から、選挙制度やマスコミの誘導などを指摘し安倍自民党は国民の支持を受けていないという報道が見られる。例えば鳥越俊太郎
「『民意得ぬ』自民圧勝 小選挙区のマジック」(毎日新聞2013/1/5)である。
「今回の比例代表の得票率27.6%は、選挙結果の自民圧勝の印象とやはりどこかそぐわない印象を否めませんね。」 もちろん鳥越氏は、自民・公明・維新の関係による憲法改正などに警告を発している。しかし、彼が問題にするのは“自民党に投票しなかった”民意でしかない。相対的多数が何を支持したかを問題にすべきであろう。
今、国民の中には強烈な“被害者ナショナリズム”が醸成され束ねられ(ファッショ)ようとしている。例えば「尖閣をめぐる一連の経過を振り返ると、棚上げされてきたはずのこの問題に対して、力による現状変更を仕掛けてきているのは明らかに中国側であり、日本はあくまで対話と法理で問題解決を図ろうとしている。」(毎日・元旦社説)として、石原前都知事の「尖閣買収」策謀などとっくに忘れている。
ここまで来たら「国益・自衛戦争」までは一足飛びだ。
そこで、われわれが相手にすべき方面は何を考えてきたかを検討したい。
430万票、猪瀬東京都知事の語録
「石原都政を継承する」で、430万票を獲得した。当選後「日の丸・君が代」問題にはまだ明確な見解を述べていないようだが、以下のようなコメントが散見する。
「戦後、公共性はタブーだった。それは、直接戦争と関係ないところで考えなければいけないことだけれど、戦前のスローガンの『滅私奉公』というような言葉に極端なアレルギーを示して、公共性を否定してきた。・・自分の行いと公共的なモラル、あるいはビジネスがどういうふうに結びついてくるか、その関係がわかれば、まさに世の中とのつながりを持って、広げていける。ニートではなくなる。」(猪瀬直樹『国を変える力』)
「ナショナリズムこそ日本の近代をつくってきた原動力であり、その原動力は、表層のモダニズムとは違う部分で、日本の風土や天皇制という求心力と結びついていることがわかった。」(猪瀬直樹「僕の青春放浪」)
「日本は平和国家であり、沖縄が実質アメリカ軍に占領されたままであっても、それを見て見ぬふりをしさえすれば、冷戦という安定した均衡の中で大きな戦争に巻き込まれるような事態を予想する必要もなかった。」(猪瀬直樹『二金次郎はなぜ薪を背負っているのか?』)
猪瀬都知事のいう「公共的モラル」「天皇制という求心力」が「国旗・国歌に対する敬意の表明」と結びつかないことを祈る。いずれにしろ、裁判の相手も石原前都知事から猪瀬都知事に継承される。
また、猪瀬直樹氏の学生時代には、おそらく“沖縄なくしてベトナム戦争の遂行不可能”と言われていただろう。それでも「見て見ぬふり」をしていられたのだろうか。さらに護憲勢力からも「戦後の日本は憲法9条があったから、日本人は殺しも殺れもしなかった。」と言われることがある。自国の陸・海・空から出撃した軍隊によって幾多の朝鮮人、ベトナム人、イラク人、アフガン人が殺傷されてもそう言える
のか。そう言っている限り、アジアの人々はおろか、沖縄の人々と通い合うことは難しいように思う。極めて危うい。