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2013年10月5日土曜日

9/26 「授業してたのに処分」=福嶋裁判が結審

■9月26日(木)福嶋裁判が結審しました。
 福嶋裁判について、弁護団は、最高裁判決で再発防止研修未受講の減給6月の処分の前提となった減給1月の処分が取り消されているので、「授業してたのに処分」の裁判を終結することを求める「上申書」を出していました。
 そして、前日の9月25日に、古久保裁判長(民事19部)から弁護団に電話があり、9月26日の第7回弁論で終結する旨の提案がなされました。
 以下、福嶋さんから、報告が寄せられましたのでアップします。

◆「授業してたのに処分!」      文責:福嶋常光

▼皆さまに支えられて行われてきたこの裁判も今回の第七回口頭弁論で結審となりました。判決は12月19日(木)13:10と決まりました。7月の第六回口頭弁論で話題になった証人尋問を期待していた人には物足りない幕引きに思えるかもしれません。この間3ヶ月足らずに行われたことからお話しします。

★陳述書作成:4月の第5回口頭弁論が終わった5月中旬から取りかかりました。予防訴訟、嘱託不採用、「君が代」一次、二次、と陳述書を書いていますので、それの手直しでいいかなと甘く考えていましたが、事案がそれなりに違うので加筆したところ原案は28ページくらいになりました。字句修正、文章の入れ替えだけでなく大なたでばっさり数ページ、という大工事となりました。その結果が17ページ+授業時間割表というものになりました。もともと言語能力が劣る私にさらに加齢による衰えが加わります。弁護士の方々にはメールによるご指導だけでなく、計6回集まっていただきました。8月中旬に平松弁護士から裁判所に提出していただきました。

★進行協議:8月22日の進行協議で事態が大きく動きました。裁判長から「事実関係での争いはほとんど無いので、証人尋問は必要ないですね、原告証人も特に必要とは思えません。」に双方が同意。
 さらに裁判長は判決に直接関係する発言もし、私も弁護士の方々も勝訴を確信しました(私も「そこまで言ってくれるの?」と驚きました)。さらに9月5日に予定されていた口頭弁論は6日の二次訴訟の判決が出てからの方がお互いやりやすいでしょう、との裁判長からの提案に双方合意。第7回口頭弁論は26日になりました。

★上申書の提出:9月6日の「君が代」二次訴訟の判決が出され、私の2つの処分取消しが確定しました。弁護士の方々により「26日の弁論で結審、早い時期での判決を求める」「原告および弁護士2名の意見陳述を認めていただきたい」旨の上申書を9月中旬に裁判所に提出しました。その回答が25日に古久保裁判長より平松弁護士にあり、こちらからの要望はかなえられました。なお人事委員会への請求(裁決の取消し)は裁判所の意向により取り下げることにしました(処分取消しだけの方が判決文を簡潔にわかりやすくかけるため思われます)。

★9月5日:口頭弁論の日程変更を皆さまにご連絡すべく努力したのですが、やはり行き届かない点が出てしまいました。予定では当日9時半くらいには裁判所前に行くはずでしたが、京王線が止まってしまい、私がついたのは10時10分頃になってしまいました。傍聴しようと来てくださった8名の方には事情をお話しできましたが、「?」のままお帰りになった方も数名おいでだったようです。申し訳ありませんでした。

★意見陳述原稿:始めに書いた原稿は服務事故再発防止研修の理不尽さを強調したものでした。やはり弁護士からダメが出されました。そこで陳述書の一部を読み上げることにしました。でも当日には山中弁護士が私の言いたかった再発防止研修についてのことを7割くらい言ってくださいました。 

▼いよいよ26日になりました。9時半に裁判所前につくと台風の。
影響で雨、さらには風も出てきました。旗を1本残し、裁判所建物まで避難しました。来た方には法廷に行ってもらうようにし、私も10時くらいには法廷に移動しました。今までよりも傍聴に来てくださる方が少ないように見え、「日程変更の影響かな、台風による雨のためだろうか」などと思いましたが、結果的には満席だったようで、有難いことと感謝しています。
 原告としての意見陳述も落ち着いてでき、山中弁護士、澤藤弁護士の弁論も何度聞いても明瞭的確に事件の本質を述べてくださいます。特に山中弁護士は私の言いたかった服務事故再発防止研修の問題点をきちんと言ってくださいました。都側代理人の石津氏が元気ないように見えました。追加の書証や準備書面は双方とも予定はなし、ということを裁判長は確認した後、判決日を12月19日(木)13:10と指定して法廷は終わりました。

▼以下は蛇足かと思います。
★事件の概要:2005年3月の卒業式で君が代斉唱時に不起立で会ったとして2回目の処分(1/10 1月)を受けました。その処分について服務事故再発防止研修が指定されました。1回目の「基本研修」は7月21日に行われ出席しました。翌22日に2回目の専門研修が9月13日(火)に指定されていることが校長から知らされました。火曜日は私の授業が5時間あります。そのうちの3時間は他の曜日への変更が全く出来ないものです。私はすぐに日程変更を校長に申出ました。しばらく言葉のやりとりがありましたが、校長は「都教委に9日(金・私の授業はない)への日程変更を要請する」と言いました。ところが8月に入ってすぐくらいに校長から「日程変更は認められなかった」ことを告げられました。私は「都教委に事情が正確に伝わっていない」と思い、8月中旬に都教委に「日程変更のお願い」を郵送し、「9月20,21,22日の文化祭の代休日、9日,30日の金曜日には行ける。その他の日でも授業し差し障りがないなら行くように努力する」旨を伝えました。ところが都教委は聞き入れることはありませんでした。
  9月13日にいつもの火曜日と同じように授業をしたために12月1日に減給(1/10 6月)という重い処分を受け、この処分についての再発防止研修が2月1日に午前に「基本研修」午後に「専門研修」が行われ出席しました。

★人事委員会審理:2006年1月20日に都人事委員会に処分についての不服審査請求を行いました。しかし当時は被処分者の会の東京弁護団は極めて多くの裁判(嘱託解雇、嘱託採用拒否、君が代一次、君が代二次、予防訴訟)を抱え、それらがいよいよ重大な局面になっていて、とてもこの「授業してたのに処分」取消請求までは手が回らない状況でした。人事委員会には審理期日の延期を数回お願いしました(人事委員会事務局の方には感謝しています)。暗礁に乗り上げていたところ、被処分者の会事務局が「我々だけでやっていこう」と言ってくださり、弁護士なしで、実質動き出したのは2009年10月からでした(準備書面などもS氏が作ってくださいました)。2010年3月と11月に公開口頭審理(証人尋問計4名:校長・研修センター統括指導主事・人事部職員課長・請求人本人)を行ました。公開審理は2回とも傍聴席は満席、証人尋問も十分に内容のあるものになりました。しかし2011年8月の裁決は請求棄却でした。

★裁判:人事委員会の公開口頭審理には平松弁護士が来てくださいました。そこで裁判について引き受けていただけないかお願いしました。2012年2月に提訴、5月7日の第一回口頭弁論を皮切りに、今回の第7回弁論で結審となりました。2005年3月の処分が2012年10月の高裁判決で取消しになりそれが最高裁で確定したことから、再発防止研修そのものが行う必要が無かったこと、累積加重処分も最高裁で取消されていること、などから報告集会で澤藤弁護士が言ったように「これは勝てる裁判、ただどのように勝つかが問題」と思います。

★判決への期待:12月19日(木)13:10に判決が言い渡されます。勝訴はほぼ確定と思うのですが、生徒に対する教師の直接責任・教師が責任を持って生徒の教育を行うんだ、という気持ちをどこまで裁判官が分かったうえで判決文を書いてくださるか、が問題です。また服務事故再発防止研修は2005年当時は私とは全く関係のない事柄に終始していました。今は直接に内心に踏み込む内容になっているようです。回数も極めて多く実施されます。それに対する歯止めになるような判決になるでしょうか。
今思うこと:
 ・実に多くの方にお世話になりました。弁護士の方々、被処分者の会事務局の方々、嘱託採用拒否撤回裁判を一緒に行った原告団の方々、そして傍聴席を埋めてくださったあるいは入れなかった方々など。足を向けて寝られない方が多くてどっち向いて寝れば・・となると落語ですが、ありがとうございました。判決が出てもまだ裁判は続くでしょう。今後ともよろしくお願いします。
 ・弁護団会議でいろいろと話していると、ほとんど忘れていた当時の細かいことを思い出してきます。実にいろいろなことがあった2005年度でした。裁判では「生徒のことを第一に考える真面目な教師が、生徒のことなど眼中にない不真面目な都教委により処分を受けた」事件である、ということを強調しているのですが、そうすると「私は生徒にとってどういう教師だったのだろう」と考えてしまいます。また教育とはなんぞや、ということをあらためて考えるのです。今なら当時よりも生徒に対して多少なりともいい接し方ができるかな、とも思うのです。
 ・判決が都教委の暴走に歯止めとなるようなものでありますように、現場の先生方を勇気づけるものでありますように、と祈るばかりです。