『コリン・キャパニックは日本人でなくてよかった』
アレックス・マーシャル(英国ジャーナリスト)
訳:田口 俊樹さん(翻訳家)
コリン・キャパニックがアメリカ国歌を拒否しても――今やこれに賛同して同じ行動を取る選手も出てきた――動じない人がひとりいるとすれば、それは60代後半の細身の日本人女性、根津公子さんだろう。
根津さんほど長期にわたって国歌を拒否している人は世界的に見ても例がない。
元教師の根津さんは20代の頃から国歌を軍国主義の象徴と見なし、国歌演奏時の起立を拒否しつづけ、そのためにこれまで罰金を科せられたり、半年にも及ぶ無給の停職処分を受けたりしてきた。
そればかりか、演奏時間55秒の『君が代』に対する態度矯正のため、無数の再教育講習を受けることを強要されたこともある。
『君が代』は天皇の統治が「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」続くようにと願う歌である。彼女には、自宅周辺に右翼団体にやってこられ、街宣車で東京じゅうをつけまわされ、
「帰れ、帰れ」(そう叫ぶことで、彼女が北朝鮮出身だとほのめかしている)と大声を張り上げられた時期もある。郵便でカミソリの刃を送りつけられたこともあった。殺人を意味する昔からよくある脅迫である。
要するに、根津さんの体験はキャパニックをはるかに凌いでいるということだ。にもかかわらず、彼女は彼に対してこれ以上ない同情を示して言う。
「彼はまだ28歳です。彼のやっていることは選手生命を危うくするものです。わたしの行動がほんとうに職を失う危険をもたらしたのは50代の頃のことで、わたしの子供たちはすでに成人していました。だから(彼らには)自分の世話は自分でできました。わたしもまだ20代で、家族を養う責任を負っていたら、わたしが50代で取ったような行動は取れなかったでしょう。だから彼には深く感銘を受けています」
アメリカ人の中には、キャパニックが国歌を拒否したことを何か新しいことのように思う人もいるかもしれない。しかし、国歌拒否など世界じゅうで常に起きている。スポーツの世界でもそれ以外の世界でも。国歌を聞く者がその国の現状を批評する際、国歌の持つ象徴的な価値観や理想主義的な歌詞(アメリカ国歌の一節「自由の地、勇者の故郷」などその好例だろう)が利用されるというは、しょっちゅうおこなわれていることである。
こうした抵抗運動が興味深いのは、抵抗運動それ自体に関することだけではない。そのような事態の出来(ルビ、しゅったい)、さらにその抵抗が惹き起こす反応。それらはその国における国家主義の現状を大いに露呈させる。
インドを例に見てみよう。国歌『ジャナ・ガナ・マナ』演奏時の起立を拒否したことで 映画界から追放された人物が、この2年間で数人いる。
この歌はナレンドラ・モディ首相のもと、インドに国家主義が復活したことで、ますます大きな公的役割を演じているように見える。たとえば、マハラシュトラ(ムンバイのある州)では映画を上映するまえに国歌を演奏することが義務づけられている。それはケララ州などほかの州でも同様である。
33歳のマヘク・ヴィアスは、偶然としても思わぬ巻き添えを食ったひとりだ。
2014年、ムンバイの映画館で南アフリカ人の恋人がインド国歌に起立しなかったことで、うしろに坐っていた観客から嫌がらせを受けた。彼が怒鳴り返すと、逆にひどく殴られた。
ヴィアスは、この出来事がモディ首相のもとでインドを覆うこれまでにない空気と関係があるとは思っていない。「実際、ムンバイで国歌を演奏することを決定した政党は十五年前の国民会議派だったんだから」と彼は言う。
しかし、そんな彼も、国歌に対するさまざまな態度がさまざまな場面で軋轢を生んでいるとは思っている。
「国民の反応がいいということで、今はスポーツの試合のまえに国歌が演奏されてるけど、それはおかしいよ。会社に出勤したり空港に到着したりしたときにも、毎日国歌を歌ってるわけじゃないんだから。ぼくはインドを信じてるし、多くの国民が自由のために命を落としたという事実もそのとおりだと思うけど、だからといって、誰もが国家主義的態度をこれ見よがしに見せなければならないということにはならない。人に押しつけていいということにもね」
イスラエルでも最近、国歌拒否問題が大いに注目を集めた。二〇一二年、サリム・ジュブラン最高裁判事が宣誓就任式において国歌『ハティクヴァ』を歌うことを拒否し、論議を呼んだ一件だ。
ジュブランはクリスチャンであり、アラブ系イスラエル人でもある。だから「ユダヤの魂が……今もエルサレムの地を渇望している」と心から歌うことはできなかった。
しかし、国家主義者はそんなことなど斟酌しなかった。彼の態度への激しい批判がやむことはなかった。同様の論議は、セルビアや、サッカー選手が国歌を歌うことを拒否したフランスでも起きている。
(極右政治家、マリン・ル・ペンは案の定、理由のいかんにかかわらず、国歌を歌わなかった選手の存在を政治的に利用しようとした。)
しかし、国歌抵抗運動が最も長く続いているのは日本だろう。その歴史は第二次世界大戦時にまでさかのぼる。当時、国歌は天皇をカルト的人格に仕立て上げようとする明確な役割を演じていた。戦後、新たに教職員組合が結成されたが、そのスローガンは「教え子を二度と戦場に送るな」というもので、組合結成の目的のひとつが、学校の始業式や終業式に堂々と演奏される国歌に反対することだった。
根津さんは子供の頃は喜んで『君が代』を歌ったと言っている。日本人であることが誇らしくてならなかったそうだ。「わたしたちは誰より幸運だと思いました。
特別な行事のときにしか歌われなかったから、『君が代』を聞くたびにわくわくしました。」
しかし、大学時代、戦時中に中国や韓国で日本軍が犯した残虐行為を本で読み、自分には与えられている未来が戦時中の中国や韓国の人々には一切なかったことを知ると、起立などとてもできなくなった。
教員生活を続ける中で、国歌に対する彼女の態度が問題視されることはほとんどなかった。それが1990年代になると、政府は愛国心を育むことを狙いとし、さらには給与と関連づけてまで教員の起立を強制するようになる。その結果、対立が表面化するようになり、事態も緊迫する。
そんな中、よく知られているのは1997年の事件だろう。
東京の北部のある学校(注:所沢高校)で、国歌斉唱のおこなわれる入学式を生徒たちが集団でボイコットしたのだ。この事件はその後数週間にわたって、彼らはほかの生徒の模範となる生徒なのか、それとも最も恐るべき日本の十代なのか、という論争を全国に巻き起こし、事件を扱った“マンガ”まで現われる。
根津さん個人にとって状況が一変したのは2003年のことである。この年、右翼扇動家、石原慎太郎を知事として頂く東京都は、同年におこなわれる入学式と卒業式において起立しなかった教員を処分することを発表した。(その後、大阪府も同類の右翼扇動家、橋本徹のもと、東京に倣った。)処分をちらつかされた教員はその大半がおとなしく服従したが、根津さんと数人の教員は断固拒否を続けた。
そのため、まず一ヵ月の賃金カットを受け、次はそれが半年に延びた。そのあとまず一ヵ月、続いて三ヶ月の停職処分を受ける。あまつさえ毎年、別々の学校に異動させられた。
その中には通勤時間が自宅から二時間もかかる学校もあった。どう見ても、管理者は彼女をひたすら退職に追い込もうとしたのである。
日本の国民の大半がこのような粗暴な新政策を受け入れている事実は、おそらくこの国が国家主義に大きくシフトしていることを示しているのだろう――もっとも、教員たちの主張をきちんと理解している国民が数少ないという事実もあるが。
つまるところ、戦後70年以上も経ったのである。国歌は現在の大半の国民にとって、大いに敬愛する天皇の統治が地質学上ありえないほど長く(小石が岩に変わる!)続くようにと願う歌にしか聞こえていない。
「家族はわたしの行動を受け入れてくれました」と根津さんは話す。「こういう母親だということはわかってくれていました。ですが、同僚の教員や友人の中にはわたしを排除しようとする人もいました。それがとてもつらかったです。それでも、わたしが弱気になると、誰かが支えてくれました。新たに起立を拒否する先生も現われました。それでわたしも頑張らなければいけないと思ったのです」
都が管理締め付けに大成功を収めて以来、日本の空気は少しも変わっていない。〈ガーディアン〉紙によれば、今年の7月、ある元首相はオリンピック選手団に向かって「大声で国歌を歌う」ように言い、歌えない選手は「日本代表の資格がない」と見なすとまで宣したという。
安倍晋三が、国歌を歌うことは日本が本来持っている自信の証しだと訴え、今なお国歌を押しつけつづけているのもなんら驚くにあたらない。
根津さんは2011年に退職して以降も国歌から離れることができないでいる。現在いくつも法廷訴訟を抱え、受けた処分の撤回を訴え、さらに国歌に起立を強制することが思想、信条の自由に反することを立証しようとしている。
キャパニックは根津さんの例からどんな教訓を得ればいいのか。
アメリカにおける人種差別問題と、シンボルとしての国歌をどう扱うべきかという論争を世界的に巻き起こしたという点で、彼の目的は達せられた。そう考えるのが現実的な解答ではあるだろう。
日本の戦争責任と『君が代』が国歌としてふさわしいのかどうかという点について、日本の教員たちは、70年に及ぶ抵抗の中でそこまでの論争を惹き起こしてはいない。
根津さんにしても今のところ勝ったとは言えない。それでも、キャパニックが学ぶ教訓はほかにもあるはずである。それは人々が彼の抵抗にすぐに無関心になっても、だからといって抵抗をやめる必要はないということだ。
キャパニックが学ぶべき一番の教訓。
それは根津さんにとってはいささか散文的すぎるかもしれないが、それでも彼は学ぶべきだ、自分が日本人でなかったことをどれほど感謝すべきか。
「この国でスポーツ選手が彼のようなことをすれば、チームから追放されるでしょう」と彼女は言う。
「一瞬にして選手生命を断たれてしまうでしょう。だからこそ、わたしは自分が正しいと信じることを断固やり抜こうとした彼の決意に感動するのです。」
田口さんについての紹介。
彼は、エドワード・スノーデン(元CIA・NSA職員)が暴露した機密情報を著したグレン・グリーンウォルドの本「シチズンフォー・スノーデンの暴露」の訳者でもあります。(映画化もされています。ご覧になったかも知れませんね)
田口 俊樹に関してはWikipediaでも検索できます。