根津公子さんの話を聞く会
9月24日(土)午後、船橋市勤労市民センターで、「教え子をふたたび戦場に送るな!『君が代』不起立裁判勝利/根津公子さんの話を聞く会」が開催された。ぼく(T.T(千葉高教組市川支部「ひょうたん島研究会」)m実行委員会の一人として、集会後の懇親会も含めて参加した。高木正さんの報告です。
★このDVDのクライマックスは、08年3月末に予想された免職を阻止できたことが確認された都立南大沢学園養護学校の場面と、その免職阻止のために連日行なわれた対都教委闘争の場面だったと思う。都教委闘争については、ぼくも端っこの方でだが参加したことを、誇りに思っている。
根津さんの話は生い立ちから始まり、お父さん、あるいはお父さん世代の「戦争責任」を問いただしたことも話してくれた。お父さんの返事は、「沈黙」だったと、たしか言っていたと思う。
★その後、短大を卒業し、江東区・八王子市の中学校で家庭科の教員になり、同じく八王子の石川中で働くようになって、「日の丸」をめぐる闘いに突入したのだと思う。
根津さんが示してくれた年表によると、94年3月に「日の丸」を下ろし、同年4月に初の処分(減給1カ月)を受けたようだ。千葉との関係でいえば、その頃ぼくも参加していた運動「不起立に市民権を!」で、根津さんに来てもらったことを覚えている。
その時のぼくにとっての根津さんの第一印象は、「闘士という感じじゃなく、穏やかに話す人だなあ」というものであった。その「穏やか」な語りは、今回の集会まで一貫していると、ぼくは思う。
★今回の集会タイトルに含まれる「裁判勝利」については、具体的には、今年の6月に確定した最高裁での「勝利判決」を指しているはずだ。でも、この最高裁判決の前には、昨15年5月の東京高裁「逆転勝訴判決」があった。
実はぼく、その判決を、直接高裁の場で聞いている。それも、原告席、つまり根津さんのほとんど間近で。だから、この勝訴判決を聞いた時の、根津さんの表情を、ぼくはよく覚えている。
懇親会の席でも根津さんに直接言ったのだが、「ハトが豆鉄砲を食らったような顔」をしていた。隣にいた弁護士に言われて初めて、勝訴と知ったようだった。
集会の最後にある参加者が感想を述べていた。「常にこれら『日の丸・君が代』闘争の先頭に、根津さんがいた。」
まさにその通りだと、ぼくは思っている。(16/09/26丑三つ時)