副校長に欠員の危機!?
前回11月24日の定例会の終わりに、「次回定例会は12月22日10時から」と告げられていたが、直前になってHP上で開催時刻が変更になっていた。総合教育会議の開催が後から決まったことによるようだが、定例会の冒頭にそうした説明があってしかるべきだろうに、いつもながらそれはなかった。定例会の公開議題は①「都立学校における『組体操』等への都教委対応指針について」 ②「都教委職員表彰について」の報告ほか。
②は、都立学校については都立学校長及び教育庁から、区市町村率学校については各区市町村教委から「他の模範となる」として推薦された個人・団体について、職員表彰審査会の審査を経て、今年度は81名、11団体の表彰を決めたとのこと。毎年この時期に行われている。
81名のうち校長が50名。団体の表彰理由の「主なる功績」として、「学校経営」などの他に、「オリンピック・パラリンピック教育の推進」や「中学校区における小中一貫教育の推進」をしたことがあげられている。都教委の方針に沿った「他の模範」であることが容易に想像できる。
15時20分から16時までが第2回総合教育会議。
それに先立ち、傍聴受付は14時20分から14時40分、その後移動させられ、手荷物検査をされて別室で待機させられた。その間にトイレに行ったら、トイレ前まで職員がついてくる始末。この警戒ぶりは何? といったところ。
前後するが、閉会後の退席順が決められている。知事が付き添い2人(?)に警護されて退室する。完全に姿が見えなくなった段階で教育委員たちが退室する。それまでの間、傍聴者は席を立つことや声を出すことが禁じられ、教育委員が退室した後、やっとのこと傍聴者退室となる。
この退席の仕方は総合教育会議を権威付けるための演出なのか。知事や教育委員の出入り口と傍聴者の出入り口は全く離れたところにあるのだから、閉会宣言で三々五々退室してもよかろうに、知事や都教委にはそのおおらかさがない。
昨年度、総合教育会議が始まったときからの形式だが、何かにつけ「都民ファースト」をことばにする小池都知事も、こんなことさえ変えようとはしないのだ。
総合教育会議の議題
「東京都教育施策大綱(案)」について。冒頭、「パブリックコメントを頂戴し、新たな大綱(案)を出した」と小池都知事が挨拶。次に中井教育長が大綱案の加筆修正した箇所を説明。その説明を聞くと、都教委方針と合うパブリックコメントは採用し、都教委方針と合わないパブリックコメントについては無視したことがよくわかった。
その後、教育委員5人が大綱案を巡って持論や重点課題について各5分ほど発言。皆さん、言葉はきれいだけれど、心を打つような教育観・人間観はやはりない、と思っていたところに最後の中井教育長の発言。悲鳴とも聞こえる内容だった。「仕事が忙しすぎて、教員のなり手がない。特に小学校では受験倍率が2、8倍。この倍率では、『この人でいい』という教育力のある人を必要数確保することはできない。働き方改革、職場環境を良くする必要がある。また、校長、副校長のなり手がない。現職だけでは足りず、今は再任用で確保しているが、それでは持たない。副校長の仕事の軽減、見直しなどの抜本的対策が必要だ。」(要旨)来年か再来年にも、副校長の欠員が出るのではないかと思わせるような発言だった。
副校長の受験倍率は10・23通達(=「君が代」の強制)以来急激に下がって、この10年1,1倍~1.2倍が続いている。
職階性は要らないと私は考えるが、それが必要と考える都教委の面々は副校長のなり手がいないのはなぜかを真面目に考えたことがあるのだろうか。多忙は一つの大きな要因だろうが、それだけではないことを。10・23通達発出直後、それに怒って副校長を自ら降格した人が何人かいた。それは、その背後にはかなりの数の都教委の教育行政を批判する管理職や管理職受験希望者が存在していただろうことを、都教委は考えなかったのであろう。考えないままに学校を支配してきたから、今の事態を招いたと言えよう。
意味があるとは思えない文書作成を次々に課せられ終わることのない忙しさや精神的苦痛、教員の支配管理を都教委の指示で日常的にさせられる苦痛、校長に昇格しても、○○推進校や○○研究校に名乗りを上げ「特色ある学校」を作らなければという脅迫観念や「君が代」不起立処分に我が手を貸すなどの苦痛に悩まされる。それがわかっているから、副校長になろうとしないのだ。
「君が代」不起立を続けてきた私は、校長・副校長が処分に手を貸すことの苦痛を見続けてきた。10・23通達を撤回し、都教委の介入なしに各学校が教職員の総意で教育活動を再開できるようになったなら、子どもの人格的成長に資す教育を論議できるようになったら、副校長の受験倍率は復元するだろう。このことを私は都教委に提言したい。